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美しいってなに

どうも、安枝です。

ふと思ったことを思ってるうちに書き殴って雑に公開していく試みです。
今日はタイトルにある通り「美しい」についてです。

なお「美しい」を解き明かすなんてことは世界中の哲学者だったりがやり尽くしてるっぽいので、僕の1万倍くらいそれについて考えた先人たちの本を読んだ方がよっぽどタメになると思うのですが、このnoteの価値はあくまで「安枝がそんなこと言ってたな」ってところにあると思ってるので、記事のクオリティとしてはゴミです。

はじめに

映像をつくる仕事をしてると、
「ここシンメトリーにしたいよね」「そうですね」
「あと3フレ伸ばしてみる?」「そうですね」
みたいに、明確なルールがあるわけでもないのに、共通認識でこっちの方がいいとなることが多々あります。
それを成しえてるのが「美しい」という価値観だと思うのですが、ではこの「美しい」というのは、どのように形成されてるんでしょうか。

とりあえず辞書で引いてみた

「目に、耳に、心に、うっとりした感じで訴えてくる」とあります。確かに匂いに対して美しいって言わないですね。なんでだろう。それにしても、これだと曖昧すぎて説明としてあまりに不十分なので、歴史をちょっと深掘りしてみることにしました。

自然から学ぶ「美しい」

哲学で「美」が語られるよりずっと前に、古代ギリシャの数学者が、黄金比なるものを見つけました。
みなさんご存知の、どっかの神殿やら、イケてるIT企業のロゴやらに使われている「1:1.618」のあれです。
世の中にある美しいものには法則がある、オウム貝の殻や、ひまわりの種にも黄金比が存在するため、自然の物理法則とされました。
で、当時ちょっとバズって古い彫刻とかにはやたら黄金比が使われたわけですね。きっと当時のギリシャ人は黄金比マウントを取り合っていたんでしょう。

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いかにも!って感じですね。

ただ、これだけだと世の中の美しいものを全て説明できている気があまりしないので、ちょっと違う角度で深掘りしてみます。

歴史から学ぶ「美しい」

さらに調べてみると、黄金比が長方形なのには「生きるために必要だから説」というのがありました。

人類がまだネズミだった頃、天敵から逃れるために、見渡すという行為を常に続けており、空間を横向きの長方形で捉えていた、と。
だから人間の目は横向きの長方形で横並びについていて、テレビなんかも横向きなんですね。

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正方形より、横長の方がより見渡せる。

「生きるために必要だから説」でもう一つ。
長い長いサバイバルの中で、生きていくために必要なものを、何百年も経った今でも美しいと思うのでは、とする説です。
人は花を美しいとしますし、流れる水や焚き火を見ると癒されます。それは、花は果実を実らせ、水辺は植物を生い茂らせるからなんですね。「美しい」とは、自分や種の命を守ってくれるものに抱く感情ってわけです。

「いや、でも孔雀の派手な羽根はサバイバル的には邪魔だろ!」
と、言われてしまいそうですが、確かにサバイバルに必要なもの=美しいなら、孔雀の羽はあまりに矛盾しています。
しかし、孔雀のメスは、その無駄な装飾を見て「美しい」と思って、オスと恋に落ちるわけです。

現代社会における「美しい」

前述した内容だと、孔雀の例を除いて、あたかも美には法則があるように見えますが、現代社会はもっと複雑です。

毛がある方が美しい、無い方が美しい。
色は黒い方が美しい、白い方が美しい。
痩せてる方が美しい、太ってる方が美しい。
頭からツノが生えてたら美しい。
舌が裂けてたら美しい。などなど。
美しいの感じ方は多種多様になっています。
これだと、前述した法則では説明がつきません。

この辺にはファッションとトレンドも大きく関わっています。
つまり、人間は生まれた場所や育った環境、教育、性格など、その人のストーリーによって、美しいと思うものが違っていて、美しいと感じるかどうかに進化論や自然の摂理は関係なく、時代の空気も含めた個の主観である、とする説。

しかし、これも実は矛盾しています。
認知症患者を対象にしたテストで、認知症を患う前に美しいと感じていたものは、認知症になってからも好むという研究結果が出たのです。
つまり、理性で美しいものを選んでいたのではなく、美しいものは本能で選び、その本能は脳の機能に関わらず失われることはない、と。

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いらすとやってマジでなんでもあるな。

つまり

ここまで書いた通り「美しい」には様々な起源があります。

・自然の摂理でもう決まってる説(オウム貝の殻など)
・生きるために必要なものを美しいと思う説(花や水辺など)
・時代背景や経験に則した判断をしてる説(タトゥーなど)
・本能的に決まっている説(認知症患者のテスト)

もちろん、どれも理論的には正しいのですが、正しいものが複数存在するため、どれもが矛盾してるという困った状態になってしまいました。

で、ここからが本題。

Default Mode Network

人間の脳には「Default Mode Network」という複数の脳領域で構成されるネットワークがあるそうです。
人間は、動いたり考えたりしていない時、つまり何も考えてない時は、脳も休んでいると考えられてきました。
しかし、前述した「Default Mode Network」は、休んでいたり、何も考えていない時に活性化しているという研究結果が出たのです。
さらに活動に費やされるエネルギーは、意識的な反応に使われる脳エネルギーの20倍という。
つまり、自分で認識していない時に、脳ではここぞとばかりに何かが起きているということ。
(確かに夢の中の自分って、現実の自分の20倍くらい活発に色々経験してますよね)

そして何より面白いのが、この「Default Mode Network」は、人間が休んでる時だけでなく、好きな芸術作品を見ている時にも活性化しているそうです。

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寝てる状態と、芸術を見てうっとりしてる状態は、脳の活動が似てるらしい。

アーネスト・クオストの「タチアオイの咲く庭」

ここで急にめっちゃ個人的な話ですが、東京に出てきてすぐくらいの時(ファッション業界にいたころ)に、美術館でアーネスト・クオストという画家の「タチアオイの咲く庭」という作品に出会いました。(リンクにしてるので見てみてください)
同時にゴッホも展示されてたのですが、「ゴッホもたいしたことねえな」と斜に構えながら美術館を練り歩いてた僕ですが、この絵を見た瞬間あまりの衝撃に呆気に取られながら1時間くらいその絵を見続けるという経験をしました。
凄く庶民的な住居の脇の小さな庭に、綺麗なタチアオイが咲いていて、左の方では女性がなにやら作業をしていて、その女性と同じ時間を共有しながらも、どこか怠惰な時間が過ぎていってるような絵。
おそらくそのような時間の過ぎ方が、自分の原風景とリンクとして、どこか懐かしい気持ちになりつつ、寂しさや孤独といった自分の奥深くの感情が呼び起こされたんだと思います。でもこうゆうのって言語化できないですよね。きっとその瞬間は、、前述した「Default Mode Network」がフル回転してたんだと思います。見ながら半分寝てたし。

まとめ

「美しい」とはなんなのか、その答えにたどり着くのはなかなかしんどい戦いでしたが、じゃあ仮にそれが解明できたとして、誰かが何かを見て美しいと思ったときに、「それはこうゆうことだよ」と他人が説明するなんてのはそもそも野暮だよなあとうことに気付きました。
だけど、野暮だからといって思考を放り投げるのではなく、いろんなことに疑問を持って、考えてみることが出来るのが人間だし、その考えたしょーもないことを、酒でも飲みながら話したり、しれっとnoteに書いてシェアしたり出来る時代に生まれてこれてよかったなとも思うのでした。

おわり

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