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近況報告2024

みなさま、お元気で毎日お過ごしですか?

「りはしゅ」は更新自体はしてないのでさておき、しばらくサイト自体にアクセスできなくなったりしてました。
ひとえに私の力不足ゆえです。
ちゃんと設定したのでlihashu.comのアクセスは復活した…と思います。

まず、改めてのご案内です。

BASEという個人でも物販できるありがたいサービスを利用していてなんですが、「りはしゅ」は現在のところは今ある在庫は販売し、新規でなにかを仕入れたりすることはお休み中です。今後再開することがないとは言い切れませんが、今のところ活動予定はありません。じゃ、なにもしていないのと一緒じゃん、なにやってんの?という感じですよね〜、いやほんとに。

ご購入いただいたみなさま、その後もご使用いただけていたらうれしいです。ピッパさんはローリングピン以外にもいろいろ作られていて、かわいい木製のクッキー型(本当にかわいい)も仕入れたいなーと思っていたけれども、円安はコロナ後だいぶ進行したので、海外から製品を輸入するのはむずかしくなっちゃいました。

ピッパさんファンの方は、インスタ等で直接ピッパさんとやりとりできると思いますので、ぜひぜひご自身でつながってくださいませ。

いやぁ、今は世界中の生産者さんと直接つながりやすくなってます。いいですよね〜。

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さて次に。みなさんの健康観はコロナ後になにか変化はありましたか?

私は整体的ものの見方を続けていますが、かなり「こだわり」がなくなりました。いや、個人的なこだわりがなくなったわけではないのですが、あんまり表に出さなくて済むようになったというか。

「整体的ものの見方」も人間の健康とはなんぞや?という問いに対してある種のこだわりをもって見ていることになります。そのある種のこだわりがあるから「整体的」という表現になる。でも、それすらもとっぱらって人の健康を「みる」ことはできるのかなー?という感じの問いが今立っているところです。

それには「人がやることを全部まるごと受け入れる。評価を一切しない」がキーになると思って、日々を過ごしております。

他人からみたらむっちゃつまらない人間をやってます。熱くもならないし冷たくもならない。

でもですね、「つまらなさ」に対して言いたいことがあります。

私は世の中の「問題」はほぼ「乱暴さ」ゆえと思っています。世の中の乱暴さが少なくなったらいいのに…と大真面目に思っています。でも、そもそも乱暴さってなんでしょうか。私は単純に「大きな差」「大きな緩急」の中に含まれるものだと思ってます。他にもありますよ、現在の世の中でひっしになって物事につけようとしている「価値」というのも「差」に対してつけられているんです。そういう差のある物事にみんな歓喜したり恐怖したりするわけで。つまり「つまらなさ」というのは簡単に言ったら「差が少ないこと」です。

差が世界の事象の本質ですから、差があるのはしゃぁない。動きに大小あるのはしゃぁない。世の中から大きな差を取り除いたら、そりゃぁ絶対「つまらなくなる」と思うんですよ。

でね、私は思うんです。今はどこかで「差」を見つけてきては一生懸命「価値よつけ!」とやっている世の中じゃないですか。「すごい緩急」に「すごい価値」を与えているんですよ。でももうそろそろ通り一辺倒なものの見方やめません?という問題提起ですよ。むしろ、いままで価値にならなかったゆるやかな部分に面白さを見つけだして、それをわざと「価値化しない」ということをやってみたらどうでしょう?かえって「すごい緩急」が再評価再構築されて全体的な質が上がるのでは?と思うわけです。わかりませんけど。

「りはしゅ」というのは「守・破・離(しゅ・は・り)」の逆読みです。私の整体の先生が以前、大人になってからの整体の勉強は守破離の逆でやらないと時間がなくて身につかないとおっしゃったのです(子どもが何かを学ぶならたっぷり時間があるので逆じゃなくていいんですけどね、という対比があってのことです)。それがヒントになってつけた名前です。しかも「逆」というのはどこかファンタジー味があって、SF好きな私はナイスネーミングと思ってるんです。

だけど、世の中で「順」とか「正」と思われていることを否定して「逆がいいんです!」みたいなただの逆張り屋にはなりたくない。なのに「つまんないことと思われている中にも面白さがあるんじゃね?」と十分逆張りなことを言ってるわけです。それはつまり「大きな差に価値を置く順とか正」への正の逆張りじゃなくて斜め逆張りのような「ゆるやかな逆」に位相してからの「ゆるやかな順とか正」に世の中の目が向いたら面白いなぁ、ということですね。(やっぱり捻じれてると思った人、鋭い!)

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最後に、過去、noteに登場した娘ちゃんですが、大雑把に言えば元気です。相変わらず鬱っぽくなったりしつつ、なんだかんだで生きている、という意味の元気です。あれから数年、今年は高3です。中学不登校でまるまる勉強しなかったけれど、試験なしで入った高校は休まず通って(もはや意地ですね。この意地を貫くために鬱になったりしていると私は理解しています)、今、大学受験を目指しております。さて、どうなることでしょうか。また時間が経過したら近況を書くかもしれません。

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それではみなさま、ご自身の動きと快適さの関係を観察しながら、お元気でお過ごしください。

アンニョーン(韓国語勉強中)

数多くの中からここに出会ってくれてありがとう!