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相手の話を聴くときに本当に必要なこと …その2

やっとやっとやっと梅雨明けなお天気に。今日なんか午前中はザ・真夏!って感じの空でしたが、あっという間に厚くて黒っぽい雲が現れております。外は暑いけど、やっぱり私の体はこれを待っていました。暑くて気持ちいいです。いい感じです〜。

前回のその1では、相手の話を聴くということは単に耳や頭や心で聞くのではなくて全身で集中して聞くものなのだよ、そして相手の要求の元になっているものを感じ取るものだから、聴く側の体の状態が聴ける状態なのかがまずポイントだよ、というお話をしました。

今回は、「じゃぁ聴ける体の状態って何よ? どんなことをいうのよ?」ということを野口整体ではおなじみの「活元運動」からお話ししてみたいと思います。活元運動をご存知ない方もなんとかお付き合いください。

整体では「活元運動」という体が整う訓練の運動があります。なるべく自分の体の動きたさを感じながら体を動かしていく運動で、意識的に体を動かす運動(一般的に思い浮かべる体操のようなもの)とはだいぶ違う感じのするものです(やってみるとすごく面白いです。その話はまたおいおい)。それは普段目を瞑ってやるものなので、大勢でやったとしても他人の動きは見ないのですが、勉強会で一人の動きを集中して見せてもらえたことがありました。その時の経験をお話します。

運動中の人を背中側から観察すると、はじめは体の上半分と下半分の動きがバラバラなのです。動きがつながっていない感じといいましょうか。手は手で動き、首は首で動き、胸は胸で動き、動かないところはちっとも動かないような。バラバラ。慣れてない人は「活元運動をしようと思って」意識して動かそうとしているからかもしれません。〜注〜活元運動は意識しない運動を引き出すためのものなので、意識して手足を動かそうとすることとは視点がだいぶ違うのです。〜注おわり〜 ところが、しばらく進めていくとバラバラだった動きにつながりが出てくるのです。ですから、はじめはドタバタしたような動きでも、だんだんと動きに綺麗さが出てて、一通り活元運動をした後は、体が一つにまとまった感じがします。外から見ている側も、やっている本人も、そのような「感じ」が「なんとなく」わかります。本人は「ああ、満足」とか「まとまったなぁ」という感覚が湧いてきます。

まとまった感じがする、ということは、「体がまとまってる感を取り戻した」ということです。

この話を別の視点でみると、「今の自分は大丈夫」と思っていても体のまとまりを取り戻すだけで、大丈夫じゃなくなっていたことに気づく、ってことなのです。「大丈夫だと思ってても大丈夫じゃなかったんだな」ということは後に大丈夫になった時にはじめてわかるのものです。←ここ超大事


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以上を踏まえて、再び聴くことに話を戻します。もし全身がうまく連携してない状態だったら、聴く気はあっても聴けません。バラバラです。音は耳から入ってくる。頭で相手が何を言っているかはわかる。けれども、その刺激を受け止められない状態ならとっさに自分を守る反応が出てしまう。相手のことはおかまいなしで自分のことだけやる、ということになります。だから頭で「こう対処した方が良い」と思っても「できない、体が動かない」ということになるのです。

私は自分の体験もあり、体を整えることをしていく中で人の話を聴けるようになると思っています。自分の中で聴ける時と聴けない時があるとわかります。聴けない時は、気が逸れている時、対象に気を集められない時です。そういう状態だなとわかったならば、どうするか。

自分の体の集中感、まとまり感をふっと思い出してから相手に向き合います。

その2をまとめると、話が聴ける体の状態ってどんな状態なの?それはね、体全体が一つにまとまっている状態だよ、話が聴けない状態の体というのはバラバラなんだよ。まとまってみてはじめてバラバラだったことが自覚できるんだよ、ということと、気を集められない時は体のまとまり感を思い出そう、ということでした。

あと1回くらい続く予定です。

数多くの中からここに出会ってくれてありがとう!