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広末涼子さん、W不倫の原因と抜け道について考える

広末涼子さんと鳥羽周作さんのW不倫は、ご主人のキャンドル・ジュンさん、そのほか周辺の方々を巻き込んだ大騒ぎになっていますよね。

多くの方が関心を持ったのが、
○広末さんが書いたといわれる手紙の内容と、それが公開されたいきさつ
○キャンドル・ジュンさんの会見への評価が分かれていること
かと思います。

その後、広末さん、鳥羽さんがそれぞれ週刊文春の取材に答えたりして、更に展開が。

ではこのブログでは何をテーマにしてしたらいいのか?迷いましたが、

この不倫の意味するところや、どうしていけばいいのか?を書いてみました。

最初にお断りしますが、私個人は誰に賛成でも反対でもありませんので、そのつもりで読み進めていただければと思います。


彼らの罪悪感は、億単位

彼らのW不倫が明るみになることによって、失ったお仕事は億単位ではないでしょうか。

カウンセリングの世界では、これを自分への罰としてとらえるなら、ですが、その大きさは億単位以上。

なかなかこれだけの金額にはなりません。

罰は罪悪感の裏返しですから、彼らの罪悪感は億単位の大きさともいえます。

起きてしまったことはすべてもう仕方ない。

この億単位の損失を本当に自分への罰にしてしまうのか、違う形に変換するのか?ここからが選択になってくると思います。

不倫の当事者に必要なこと

広末さんは離婚を望んでいるとも言われていますが、そうであれば鳥羽さんの前にまずご主人との関係に向き合う必要があります。


キャンドル・ジュンさんがおっしゃっているとおり、もし広末さんが不倫を繰り返しているとしたら、ですが、

本当にそれで広末さん自身が幸せなのか?


なぜ繰り返すのか?


など、ご自身の内面に向き合っていくことが必要でしょう・


そうでなければ、離婚されて鳥羽さんや他の方とお付き合いされてもまた繰り返すことになるからです。

不倫関係は基本、相手に自分の依存心を埋めてほしいところからスタートするといわれています。

夫はいる。けれども・・・
妻はいる。けれども・・・

これが不倫問題を扱うときの一般的なアプローチであり、私もこれはまず必要だと思っています。


広末さん、鳥羽さんが満たされていなかったものはなんだったのでしょうか?

他人から見るとあれもこれも手に入れているように見えるのに、何が見たされていなかったのでしょうか?

本当はもっと自由でありたいのかも?

広末さんの書いた手紙とされる中身は「恋する乙女全開」です。

彼女はきっと、好きになった人にはまぎれもなく、大好き、でこんな大好きになるのは初めて、なのでしょう。

彼女が感じていることなので、いいも悪いもありません。

他の人がそれは違うでしょというものでもないと思います。


手紙って私信ですが、そのわたくしごとが公開されることになってしまったのは、なぜ?

いったい誰が持ち込んだのか?

わかりませんが、少なくとも誰かが好意よりは悪意をもってやったことだと思います。

問題は、私信を本人の許可なく公開する雑誌のモラルの問題です。


ですが、仮に、そのモラルすら破壊させたのが、

広末さんの無意識層の力だとしたら?
(つまり、広末さんを主人公にしたものの捉え方)

彼女がもっと自由を求めているような、そんな姿が思い浮かびます。
自由奔放に生きているようで本当はそうじゃないかもしれないのです。

広末さんのように美しく、才能あふれる方がもっと輝く道。
広末さんの魂が求める道。
それがわかれば、広末さんが芸能界にいようがいまいが、「らしく」生きられるような気がします。

広末さん、本当にもっと楽に生きられるようになっていただきたいと思うのです。

トロフィーワイフが欲しかった?

鳥羽さんの場合、苦節時代を支えた糟糠の妻がいらっしゃるそうです。

が、その妻をこんな形で裏切るのは、普通に「ひどい!」と怒りを買います。

ですがそれをしてしまったのは、糟糠の妻よりも、トロフィーワイフが欲しくなったのかも知れません。
トロフィーワイフについてはこちらの記事をどうぞ。

ご自身があこがれていた女優さんであれば、なおのことかもしれません。

ところが、トロフィーワイフを手に入れようとした途端に、トロフィーをどんどん失っていますよね?
大切なお仕事をいくつもいくつもなくしています。

トロフィーワイフを狙った結果がこうなのです。

トロフィーを得た鳥羽さんがそれでもなお何かを求めたのだとしたら?

本当に認めてほしかった、ほめてほしかったのは誰なのでしょうか?

それはどんなことなのでしょうか?

鳥羽さんが本当に鳥羽さんらしく生きる道は何でしょうか?

本当に全部自分が悪いのか?

キャンドル・ジュンさんの記者会見では、今回のことは、自分の責任だ、とかなりおっしゃっていました。


普通は被害者なので、妻や相手をなじってもよさそうですが、
不倫された側のだんなさんがここまで言えるのはなかなかないことでしょう。

でも、
そんなに全部自分の責任ですか?
と思うのです。


キャンドル・ジュンさんは本当にそう思っていらっしゃるのかもしれません。

ただ、彼の愛情は、夫というよりも親のような愛情に感じました。

夫としては、ものすごくあまりに立派なので、キャンドル・ジュンさんの本心はどこにあるのだろう?とそう感じるのです。

罪悪感って結構やっかいで、本当は悪いと思っていない人ほど、自分が悪いと言ってしまうことがあります。
(キャンドル・ジュンさんがそうだといっているわけではありません)

本当にそこまでいうほど、あなたが悪いことなのでしょうか?
奥様の問題を自分ごとのように引き受けすぎていませんか?


とも思います。

キャンドル・ジュンさんには独特な世界観もあるようなので、一概にこうだとはいえませんが、やっぱり彼にとっての幸せな道はなんだろう?と思うのです。

それぞれが、「らしく」生きる道を探す

ここまで登場人物の三人について思うところを語りましたが、鳥羽さんの奥様も含め、みんながそれぞれ幸せになる道というのがある気がします。
もし幸せとまではいえなくても、これが私らしいよねという道。
無理なく生きられる道。

不倫はしている渦中の二人も実は楽しいばかりではなく、苦しみもあります。
不倫にに気づいた夫や妻、子供たちはものすごく苦しむ。

とにかくとてもヘビーなのは事実です。

でもそこから抜けていく過程で、それぞれの道を模索し、いつか時間の経過とともに、キモチの落ち着きどころと、自分らしい道を歩む姿。私は何人もそういう方を見てきました。

不倫をした罪悪感、そこで受けたペナルティに苦しむ自己攻撃、自己否定・・・苦しい感情のるつぼともいえますが、そこは当事者だけでなんとかしようとせずやっぱり専門家の力を借りてほしいなと思います。


難しくない心理学とスピリチュアルを融合した心理カウンセリング&コンサルティングをやっています。


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