見出し画像

年齢から逃れて半年が経った

ルフィは19歳だ。
フォートナイトの世界大会で優勝賞金3億を獲得した選手は16歳。
果たして年齢という概念は、正しく相手を判断する尺度になのか。

年齢という概念に飽き飽きしたことはないでしょうか。
僕はありました。
年下にはお茶を絶対に注がない人、年齢が上だが浪人しているから敬語を使う人、タメ以外とは仲良くできないと主張する人、年齢が自分の方が上だとわかった途端に威圧的になる人…
そして、かくいう自分も曖昧なところがあったと思います。

常々僕は、年齢よりも『現在何ができるか』、つまりスキルを大事にしたいと考えています。だって、尊敬できる人には敬語が出てしまうでしょ。

年齢は便利

正直、年齢が『あらゆる何か』の一つの物差しである事は否定できません。
かなり正確な精度で相手の触れてきた文化やコンテンツなどを推測できるし、それによる共感が話の種になることもあるでしょう。
でもそれ以上に、過剰に敏感になり過ぎていると思うことが多々あります。

そうだ、年齢忘れよう

そこで、僕は本当に年齢が大切なのかを知るために年齢という概念から逃れてみることにしました。
とった施策は

『目のつくSNSから年齢の表記を削除し、自分から年齢を言う・聞く・書くことをやめる』こと
『年齢を聞かれた際には非公開と言い、どうしても聞いてくる様であればあなたと同じですと返す』こと

例えば言葉に出して言うことはかなり強い自己認識になると言います。
だから、自分で自分と相手の年齢を意識する機会をなるべく生活から排斥することで年齢を忘れることができると考えました。

年齢を忘れることで明らかにしたい仮説

明らかにする仮説としては、大きく以下の2つに分けて設定しました。

自分にとってのメリット
・若い心のままいられる
・相手の年齢にこちらの意思決定が左右されなくなる
・どんな相手に対しても等しく敬意を抱くことができるようになる
相手にとってのメリット
・こちらの年齢を意識せず、何ができるのかをみてくれる
・年齢が曖昧なので、それを度外視して接してくれる

そして半年がすぎた

上記の仮説検証はこれからも続けていきながら検証していくのですが、一旦半年ほどがすぎて感じたことを列挙してみます。

・自分の年齢が+-2くらいの範囲でわからなくなった
・初対面の方には、誰に対しても必ず敬語で接する様になった
・初対面の相手から、相手自身のことを話してもらえる機会が増えた

かなり、相手は自分が持ってない何かを当然持っているという前提で話すことができるようになり、相手の現在のスキルをより評価できるようになりました。

年齢とスキルに関する気付き

ところで、そもそも年齢によって尺度がぶれるという現象はどうしてなのでしょうか。
これについて、半年を過ごす中で『実年齢』と『スキルに与える影響』が原因なのではないかと思ったので書いてみます。

昔の一律教育、就職、年功序列の会社運営という意味で、
年齢が、ある人のスキルに与える影響はほぼ一定であった

しかし、社会が成長し、余裕が生まれたことや、インターネットの発達により欲しい情報をすぐに検索できる環境が整ったために、何かに夢中になってもよくなった。
その結果、あるスキルを成熟させるために必要な年月がまばらとなり、人がそれにどれだけ早く取り組むか、熱中するかなどが大切になった。

こう考えれば、年齢というものが曖昧な概念でありどういう捉え方をしていけばいいのかがますますわからなくなってきます。
が、その反面これから年齢から逃れ続けた結果どういう考えに行き着くのかが楽しみでもあります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?