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北京紀行
2024.11.16 ~ 2024.11.23
甲
羽田空港を出発して4時間ほどで首都空港に到着した。台湾から飛んだ母と妹はすでにロビーで待っていた。台湾人が中国に行くには「台胞證」という通行証を申請すれば良い。5年間有効で台湾中国間を自由に行き来できる。対して僕は台湾パスポートを持っていないため、日本で観光ビザを取得した。初めての中国ビザ取得には戸籍謄本が必要なことを知らずに一苦労したが、幸いビザセンターのお兄さんが優しかった。書類は隅から隅まで事前に目を通してくれて、複雑な生い立ちだからって、なんとかビザを通すためにいろいろ考えてくれて、矛盾のないように誓約書まで用意してくれて、周りの職員に「これで大丈夫かな」と聞いてまわってくれた。ただ、誓約書に「中国台湾省」と書く筆はどことなく重かった。無理もない。26年間、「台湾は独立国である」と主張する環境に身を置いてきたので、咄嗟に思想を転換することができなかった。中国に対して敵国意識は微塵もないので、「嫌だった」というよりは「新しかった」という表現が正しい。まあ、そんなこんなを経て僕は晴れて大陸の地を踏んだ。
これが中国か。着いて間もないはずなのに、もう驚きを隠せなかった。走る車やバイクはほぼ電動で、完全キャッシュレス社会。日本が新札を発行した時に最先端技術を導入したなどと誇らしげに語っていた対岸から、「まだ現金なんて使っているのか」と冷やかされた理由もはっきりした。とにかく何もかもが広くて多くて壮大で、歴史があるから味も出る。道路も、建造物も、なんならご飯も。それだけ懐も深いと感じた。初日だけでもお腹いっぱいになるくらいの気づきや発見があった。経済大国であり、軍事大国、科学技術先進国のこの中国で、これからたくさん新しいことに遭遇して、その度に考えさせられるのだろうと、来たる日々に胸を躍らせた。
乙
とても効率的な社会だと思う。不必要なステップが極めて少ない。夏目さんの本で読んだ通りだ。今日、Hellobikeと呼ばれる中国版LUUPを試したのだが、まずほぼ全てのサービスがWeChatかAliPayという一つのアプリを通して使えるというだけで非常に効率的な上、返却時に「自転車の写真を撮って返したことを証明する」というあの手順がない。自転車にGPSを搭載しているから位置証明をする必要がないのと、傷や破損確認などそんな小さいことを気にしてはいない。これは単なる一例だが、他にも日本と比べると「無意味なステップや細かい規則が削られてるなぁ」と実感させられた節が多々ある。エンジニアとして最も重要な哲学にも通づるものがある。要求を明確化して、不必要な手順を削除して、システムを簡略化して、最適化して、自動化する。そんなイーロンマスクとゆってぃの精神を融合したような性格?文化?政治方針?はどのように立てられて、何をもとに成り立っているのだろう。多分、性善説と全ての人格データを把握しているという余裕の上に成り立つ社会構造な気がする。抗えない統率力に対する民衆の恐怖というものはあまり感じなかった。もしかしたら義務教育と情報統制によって洗脳済みなのかもしれないが、どこに行っても人の温かさは感じた。価値観によっては賛否両論あると思うが、少なくとも僕は住みやすいと思った。
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P.S. 今日のMVPは、公道を走る夫のバイクの後ろに乗りながらスーツケースを横に転がす妻。
丙
北京科学技術館で最先端を見た。中華民族の発明の歴史に始まり、現世の物理法則、生命の科学、5G時代を辿って、これからの通信とAIへの挑戦まで網羅していた。残念なことに宇宙開発セクションは来年オープンだったが、彼ら建設中の宇宙ステーションと世界で初めて月の裏側に着陸した嫦娥四号の実物大模型が見れただけでも幸せだ。
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この施設への惜しみない投資を前に、習近平の言葉を思い出した。
「科学技術こそが革新的な戦闘力であるという思想を打ち立て、重大な技術革新と自主革新を推進していく。そして技術革新型の人民軍を建設する。」
中国の台頭と世界平和という夢がその言葉の裏にあるのだろうけど、手段が軍事力向上だと考えると少し悲しくなる。だから、「人類の生活水準向上のための科学技術」に焦点を当てよう。全てのセクションの全てのコーナーにデモとアクティビティが装備されていて、時間を忘れるほど楽しかった。学びの先に何があるのかを可視化して体験させる。教育のあるべき姿だと思った。たくさんの小学生が遠足で来ていて、興味津々にいろんなコーナーを漁り回っているのを見てなんだかワクワクした。意味は分からなくても、覚えてなくとも、脳裏のどこかには残っていて、こうやって刺激を受けて、夢やパッションを見つけてほしいなって思った。そんなことを考えながら回っていると、閉館の音楽が流れて、施設を後にした。
向かった先のデパートの広場で、半身大の筆で地面に詩を書く老人がいた。字も詩も美しかったので、李商隱のその唐詩で締めよう:
相見時難別也難,東風無力百花殘。
春蠶到死絲方盡,蠟炬成灰淚始乾。
曉鏡但愁雲鬢改,夜吟應為月光寒。
蓬萊此去無多路,青鳥殷勤為探看。
和訳:
逢うのは難しく、別れるのもまた辛い。春の風も力を失い、百花は散り残っている。
春の蚕は死ぬまで糸を吐き続け、蝋燭は灰になるまで涙を流し続ける。
朝の鏡に映る変わりゆく自分の姿を憂い、夜に詩を吟じては月の光の冷たさを感じる。
蓬莱まではここから遠くないのに、青い鳥が熱心に訪ねてくれる。
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丁
盧溝橋の側を通って万里の長城を目指した。有名どころの八達嶺は混雑するというので、穴場の居庸關に案内された。着くやいなや聳え立つ関門とその後ろに連なる長城の壮大さに圧倒された。匈奴と呼ばれる北方遊牧民族から漢民族の農耕社会を守るために建てられてから数千年もの間、そこに佇んでいる。まるで劉明福が「中国の夢」で語った習政権のように、静かで力強い。中華民族が5000年もの歴史の中で培ってきた哲学が反映されている気がした。
「安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂」
和訳:平安の中でも危険を忘れず、生存の中でも滅亡を忘れず、統治の中でも動乱を忘れず。
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そういえばアメリカでは、トランプがメキシコ国境にこれに似た壁をつくっている。数千年前の安全哲学が未だに通用するのか、人類が前進していないだけな気もするが、日本が新札を誇らしく発行した時のように、中国は21世紀に壁を建てるアメリカを嘲笑うだろう。
戊
故宮から車で北西に30分ほど行ったところに、皇帝たちの別荘がある。東京ドーム62個分の広さを誇るその「頤和園」は避暑地として使われていたらしいが、緯度も高度も市街地とさほど変わらないので、精神的な避暑だったはず。
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世界史を履修したことがないのであまり消化できていないのだが、乾隆帝によって基礎が築かれ(母親の還暦を祝うために造営したらしい)、清朝後期には西太后、光緒帝と奥様の間で一悶着あって、毒殺したやらしてないやら… 人間のドロドロした醜い部分は今も昔も変わらない。逆に何が変わったのだろう。万里の長城、頤和園の4分の3を占める人の手によって掘られた昆明湖、その堀り土で造られた万寿山、そのどれもが途方もない構想だったと思う。だけど絶対王政の下では、そんな気が遠くなるような作業も地道にこなしていく必要がある。現代を生きる僕たちとはかけ離れた価値観があったのか。どんな心境だったのか。怠ったら殺される恐怖心か。王に全てを捧げる奉仕心か。むしろおそらくあまり自主性はなかったから、生きる目的を与えてくれてありがとう、くらいに思ってたのかもしれない。
いくら考えても答えには辿りつかない。天壇公園に生える620歳の大樹に耳を当てても教えてはくれない。だから人は想像する。今も昔も、その特権は変わらず僕らの中に宿り続ける。
己
最終日、ついに故宮にきた。北京の中心に位置するその宮殿には「紫禁城 - The Forbidden City -」という別名がある。以前から美しい名前だと思っていて、英語名に紫を意味する言葉がないこともまた不思議に思っていた。一般市民の立ち入りが厳しく制限されていたため「禁城」。では「紫」はというと、その背景には中国古代の宇宙観がある。天の中心に位置する星座帯「紫微垣」からきていて、そこは天帝が支配する場所とされていた。天と皇帝の神聖な結びつきを象徴して、「紫」という字が使われた。
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ここに来て改めて思ったのは、中国の歴史的建造物には、その細部まで文化や思想、信仰といった深い意味が込められているということ。中でも「9」という数字が印象的だ。最大の単一数字であり、「久」と同じ発音であることから、「皇帝の権威」や「永遠」を意味する。皇帝が居住する「九重城閣」は、9つの階層や9つの部屋で構成されていたり、実際に行ってみると体感できるが、一門去ってまた一門、とにかく門が多く、その無数に存在する門も「9」の要素を取り入れたデザインになっていたりする。凝ってるなぁと感じたのは、各門に〇〇門と書かれているのだが、門の6画目の「はね」がない。宮殿の中を飛び回る龍を傷つけてしまうから、だそうだ。ただ、唯一無二のパンクだった乾隆帝の書いた門にだけは「はね」がついている。何故かは正直わからないが「龍」より「隆」を重んじるってところかな…(つまらない冗談を失敬)。
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夕日が沈むころ、厳重な身分確認と手荷物検査を通過して、天安門広場に辿り着いた。歴史の授業で知り、いろんな人の話で聞いたり、写真を見たりしていたから、この旅の中で最も訪れたかった場所だった。35年前、民主化を求めた学生たちが、抗議して、戦って、武力弾圧された場所。国際社会で中国が孤立するきっかけとなった場所。天安門事件が起きた場所。その風景を想像しながら、中国と国際社会の対比を考えた。中国では決して語られない事件、抑圧される記憶。海外では自由と民主化を象徴する事件、継承される記憶。もちろん当事者と傍観者という立場上の違いはあるし、主義思想の体制も全く異なるが、歴史の改竄と記憶の抹消はあるべき姿とは思えない。そんなことは中国も分かっているはずだ。ただ彼らには、自由よりも、民主主義よりも、何よりも尊い夢がある。中華民族復興の夢がある。世界の台頭となって平和を実現する夢がある。社会の安定と政治の統制に要する犠牲は厭わない強硬な姿勢がある。それがここ数日の間に僕が感じた「中国の強さ」なのかもしれない。そう思いを馳せていると、天安門から軍隊が出てきて、日の入りとともに中国旗が降ろされた。その儀式の厳粛さにまた静かな強さを悟った。
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あとがき
通知が来たのは、ちょうど什剎海周辺を探索していた時でした。
【速報】中国外務省「日本人ビザ免除」再開を発表
最初に、「提出した戸籍謄本も、動揺しながら書いた誓約書も、そこそこしたビザ申請費用+特急料金も必要なかったのか」の波がきて、次に、「たくさん刺激をもらったし、楽しかったし、安かったし、中国は広いからまだまだ行きたい都市があるし、もっと旅したい」の波がきて、最後に、「ビザなしで滞在できる期間がコロナ前は15日間だったのが、30日間になっているということは、日中友好関係が前進している証だろう」の波がきました。タイムリーすぎるニュースへの驚きはありましたが、何より日中関係の緊張が少しほぐれた嬉しさと日中新時代への期待感が大きかったです。
中国のことをあまり知らない人。中国に興味がある人。抵抗がある人。様々な人がいると思うし、それでいいと思います。ただ、この文章を読んで少しでも行ってみたいと思えたなら本望です。日台中の明るい未来を願って。