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賢さってなんだろう?〜僕が仕事について思うこと〜

なんでまた賢さについて?

僕は過去に、賢さについてnoteを書いたことがある。でも、また同じトピックでnoteを書きたいと思った。

なんで急に賢さの話になったかの経緯は、先週の木曜日、会社の同期とサウナに行ったところからだった。(5人で行ったのだが、みんな同じエリア。そう、地下鉄の利便性的にみんな結構似たエリアに住んでいたりする。)頭が疲れ切った業後、サウナに入り、シャワーで汗を流し、水風呂にちゃぽんと入り、外で涼む。その外での時間に、「大学のときよりも、色々な系統の賢い人がいておもろいよね」と話していた。

色路な系統の賢さ

そう。色々なタイプの人間がいる。同期は110名。賢いなぁと思う人がたくさんいる。一緒にチームで動くときに、これは俺にはない力だな…と感じることが多々ある。


思考がすごく整理されていて論理的で説得力のある落ち着いた話し方をする仲間。(アカデミック上がりの綺麗な、みんなが思い浮かべるような賢さだと感じている)


物事を抽象的なところから、段階的に、本当に細かい具体的な部分まで落とし込むことが得意な仲間。(恐らく、経営を学んでいたから、頭の中に引き出しが多いし、実体験から、道筋を導き出していけるんだと思っている)


映画が大好きで、プレゼンテーションをエンタメ化するような、光る感性を持つ仲間。(自分の精通している趣味の分野の視点、やっぱりそれを持っていない人からすると、すごく独自で魅力的。カッコいい。)

こんな風に、様々な系統の賢さが共存しているのが、我ら同期で埋め尽くされている研修教室だと感じている。すごく面白い。

上に書いた以外でも、スポーツや学生団体でのリーダーを努めてきたような仲間が多くて、人と協業する際の連携に長けている人が多いように思う。

コンサルと感情

コンサルという仕事って、ロジカルで頭がキレキレで、ここからは偏見かもしれないが割と冷徹な人を想像される方が多いのかな?と思う。でも、実際はそうじゃないんだと感じる。

人間ってどこまでいっても感情的。機械じゃないから、毎日同じように寸分の狂いもなく動くことは難しい。気分に左右されるし、ロジックだけじゃ納得して動き出せないことだってある。

数字だとズレない

でも、ビジネスの世界では、数字で語ることは大事。そして、よく言われる5W1Hとかは本当に大事だと思う。全然違った観点を持った人間が、大量に集まって何かをするにあたって、「共通認識」ってすごく大事だと思う。

そこがズレてしまったら、「え、俺はここはこうだと思って、ここまでしか仕上げてないけど、なんでそんなに不満なの?」みたいな状況が生まれてくる。こんなんじゃ、同じ目標を達成するのは難しそうだ。

伝えるスキル

だから、あまり棘々しい言葉は使わないで、相手を最大限にリスペクトしながらも、同じ理解をするために必要なことはしっかり伝える。そんな力(スキル)が大事なんだと思う。

この力って、中学校高校で、俗に「あいつは賢い(試験でハイパフォーマンスだから)」って言われるタイプの人みんなに備わっているのだろうか?そんなことはないと思う。当たり前だけど、「勉強が出来る」は賢さの1側面でしかないと思う。

前置きが非常に長くなったけれど、最近はこんなことをちょっと考えていた。そこで、アカデミックの世界の人が書いた賢さについてのコラムを要約して紹介したい。

コラムの要約①

【概要】
賢さには知性、人間性、自己理解、コミュニケーションの力(対人知能)が存在している

大事だと思ったところ、自分が好きだと思った部分を太字にしてみました。全部読むのがダルい人も、僕が太字にしたところだけ読んでみてください!

高平小百合先生 
コラム1:賢さって何でしょう?
2018.09.25

私の研究テーマの一つが知能の研究です。知能というと、知能指数(IQ)を思い浮かべる方が多いかもしれません。また、学校の成績をイメージするかもしれません。知能が高い子は、IQが高く、学校の成績も優秀なはずだと容易に想像できます。しかしながら皆さんは、必ずしもそうでないことをすでにご存知だと思います。私が研究のテーマとして興味があるのは、一般的な「知能」の意味ではなく、人間の「知恵」「賢さ」「知性」「人間性」をも含めた全人的な知能です。それは、生まれ持った資質や脳の働き、また育った環境や受けてきた教育によって影響を受け、豊かな個性や個人差を生み出しています。

知能に対する考え方は、様々な「知能の理論」として古くから提唱されています。その中に多重知能理論(Gardner, 1983)という理論があり、7つ(8つの場合もある)の知能があることを想定しています。その中の二つの知能を学んで、学問や研究の重要性を感じました。その2つの知能は、学校の成績とは関係ないというよりむしろ、成績が悪い子どもの中にこれらの知能が優れている子どもが多いかもしれません。

それらは、この理論では【①内省的知能 ②対人的知能】という名前がついています(他の知能の理論では別の名前です)。


内省的知能は、自分自身の理解に関する知能です。私たちは皆、自分のことは自分でわかっているつもりになっていますが、自分の心と行動の癖についてはあまり理解していないのが普通です。自分の心の中を深くみつめ、自分の心の中のネガティブな部分もすべて受け入れて昇華することができる人、また、自分の感情(喜び・怒り・嫉妬など)を客観的に理解しコントロールできる人はこの内省的知能が高いといえる人でしょう。


もう一つの対人的知能は、他者に対する深い洞察を可能にする知能です。表情や目の動き、また言葉や態度、personal spaceなどの距離の取り方から相手の感情や気持ちを読み取り、相手の心の動きに合わせて自分の感情や行動を調整できる人がこの知能に優れていると考えられます。
学校においては、点数で表される成績で子どもの賢さが測られ、順位がつけられ、他の子どもとの相対的な比較のために偏差値が用いられます。偏差値が高い児童生徒・学生が評価され、それが将来の学びの機会や社会での可能性を開く重要な指標となっているのが、現在の日本の教育システムです。しかしながら、日本の社会現場においては特に内省的知能や対人的知能の高さが求められているように思います。点数で表すことができないけれども、人としての賢さを評価できるようなシステムが学校教育の中でも求められてくるかもしれません。次回は、賢さの個人差はどのようにして生まれるのかを考えてみたいと思います。

参考文献
Gardner, Howard (1983), Frames of Mind: The Theory of Multiple Intelligences, Basic Books,

コラムの要約②

【概要】
知能にも色々な種類、要素があって、人それぞれ得意不得意がある。学校で言われる優等生的な賢さ、経験から新しいことを生み出す力、オタク力(何かに夢中になってアイデアや理論を生み出すこと)、世間的にはちょっと邪道っぽく聞こえてしまうけど「上手く世渡りするコミュ力」…。これらも全部知能(賢さ)の種類。

https://tamagawa.jp/graduate/educate/column/detail_15054.html

多重知能理論によって提唱されたように、人間の知能には様々な側面があります。人は皆、すべての知能の側面を持っていると考えられます。では、個人差はどのように生まれるのでしょうか?人は皆、得意・不得意があります。ある人は、いくつかの知能の中で他の知能に比べ、特にある特定の知能に秀でているかもしれません。どの知能が突出しているかによって、その人の人格的・認知的個性が決まってくるのかもしれません。

多重知能理論は、8つの知能を仮定していますが、この理論がすべてではありません。理論はあくまで理論であって、人間の知的側面の姿をうまく説明するために提唱されたモデルにすぎません。真の姿を説明するには、いろいろな理論が必要になることもあります。自分が何を知りたいかによって必要な理論を選択し、その理論に沿って自分のリサーチクエッションを設定していくという手法が心理学の研究では用いられています。

別の知能の理論で知能の鼎立理論というものがあります。これは、Robert J. Starnberg(1985)というイエール大学の先生が提唱した理論です。鼎立とは、3本足のような意味があり、3つの知能の下位概念(構成的知能・経験的知能・文脈的知能)から成り立っています。

構成的知能】
学校成績やメタ認知能力とも関係があり、優等生はこの知能が高いと考えられます。

経験的知能】
自分の経験から新しいことを創出する能力があるとされ、興味関心が高いことには熱中し、その分野において自分の知識や個性を生かして何か新しいアイディアや理論などを生み出すことができる人はこの知能が高いと考えられます。オタクに近い人はこの知能に優れているかもしれません。

文脈的知能】
ストリート・スマートとも呼ばれ、現実社会で生きぬくために身につけた様々な知識も含まれます。周りとうまくコミュニケーションを取り、その集団の中で自分を優位に位置づける人はこの知能が高いと言えるでしょう。このストリート・スマートという言葉には、この理論が提唱されるに至った重要な逸話があります。

コラムを2つ読んでみて

4月から社会人として、会社という組織に身を置きながら、たくさんの同期や先輩方と関わってきている。その中で、最近非常によく感じる。「色々な系統の賢い人がいるな」と。みんな毛色が違うし、スタイルが違うんだけど、すごいスキル(パワー?才能?)を持っているなぁと感じる。

その中でも、最近思うのが、一般的に学校でよく言われるタイプの頭の良さじゃない部分が社会ではやっぱり大事なんだなぁと感じる。勉強がいくら一人で出来ても、周りの人と協力しないと、所詮は一人のマンパワーでしかない。

周りと協業して、掛け算し合いながら、どんどん物事を前に進めていく。それも、効率が全てじゃなくて、人間は機械じゃなくて感情を持っているんだから、そこをしっかりと念頭に置いた立ち回りが強い。

このスキルって、数字とかでは表すことは出来なくて、フワッとしているんだけど、すごく明確に感じ取ることが出来る。あ、この人、良いエネルギー(雰囲気)放っているな、とか。意外と明確なのだ。

もちろん、論理的思考とかも大事なんだけど、論理に関しては誰がやっても大体同じような答えにたどり着く。だから極論、バカがゆっくりゆっくり考えて作り上げるものも、切れ者が一瞬で作り上げるものも、あんまり変わらない。同じところにたどり着く。

だけど、感情みたいなフワッとしたこととなると、ひとりひとりの個性がより輝くと思う。十人十色、様々なスタイルがある。

なにが言いたいかと言うと、個性が輝くのは「フワッとした部分での賢さ」であるということ。コラムでも書かれているように、目に見えない、一般的な「賢さの定義」から離れた「賢さの要素」たちが非常に大事なのだということ。

だから、遊ぶこと(人と関わること)は仕事に直結している。人生においてとっても大事だし、楽しいことだ。それが、この仕事というフィールドでもこれからずっと続けていけると思うと、未来は明るい。学生時代よりも、自分以外とともに、お互いをよりよく知りながら、より大きいことを成し遂げていくことが出来る。そんな希望がたっぷりだ。

仕事が楽しいって、こういうことなのかも知れない。社会的な生き物の、わたしたち人間が、必要だと判断してやっているこの仕事。コミュニティ、やりがい、社会に貢献できているという実感…。非常に多くのことをわたしたちに与えてくれている。それが、仕事だと思う。

新卒研修は、残すところあと少し。6月からは現場だ。仕事、まだ始まったばかりだけど、結構楽しい。これからも楽しくやっていこう。

賢さから始めたのに、最後は仕事観みたいな話になってしまったが、これもまたnoteの面白いところ。書き始めて、最後まで書いてみないとどこに着地するかわからない。

逆算逆算で無駄なくっていうのも大事なのはわかるけれど、これくらいの、ゆとりを持った趣味から生まれる何かを大事にしていきたい。ビジネスっぽい考え方はロジックが強くなりがちだけど、やっぱり人間って非合理的で、情緒的で、そこがおもろいんだと思ってる。だから、これからもその感性を大事にしていきたい。仕事もプライベートも。

※過去に書いたnote×2 の紹介

【賢さ】
①知識量
②理解力(情報処理能力)

【賢さ】
①頭の回転
②適応能力
③想像力

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋


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笠井康弘
僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。