「ありがとう」は作るもの。
おはようございます。
鼻腔テープがないと死活問題になってきた坂口です。
今日は「幸せの掛け算に時間をかける」と言った話です。
俺は「もっとこうなりたい」に人を絡めた方がよくないですか?という感じになると思います。
「昨日の夜に起こった話」
今日は先に言っておきますが学びにはならないかもしれません。
#すいません 。
ただ、どうしても伝えたいことがあったので、この話題を選びました。
僕はよく「わざわざしろ!」ということを言います。簡単にいうと「手間をかけろ!」という事ですが、この手間をかけるというのをめんどくさいという人は少なくないと思います。
なぜ、手間をかけた方がいいのか?というと、綺麗なことを言うと相手を「ハッピーにできるから」と言うことで、ちょっぴり黒坂口でいうと手間をかけることで独自性が出るからだと思っています。
その中で一番簡単に誰でもできるのが「ありがとう」です。
「ありがとう」は面白いのですが、種類があると思っていて、
一番わかりやすい例が「ごめんなさない」と「ありがとう」の関係性です。
「ごめんなさい」は必要な時は言わないといけませんが、それ以外では別に言うことないと思っています。
いわば「パン食べたい!」みたいな。
#パン食べたい時にしか言わないよね 。
ただ、「ありがとう」の凄いところは、無限にいうチャンスのある言葉だというところだと思います。
それこそ、相手が自分に気を遣ってくれて言うこともありますし、自分が相手の事を想って言ってもらうこともできます。
だからこそ、「ありがとう」には使う側の人間性が出ちゃうので、「ありがとう」自体がその人と言ってもいいんじゃないのかな?と思うほどです。
そんな中で、昨日はなんだか不思議で懐かしい香りがしてきました。
僕は深夜にメルカリで売れた本を梱包してよくコンビニに行くのですが、その時にいつもレジには男の子がいるんです。
まぁ、特別に話すとかはないんですが、いつも笑顔のかわいい子だなとは思っていたんです。
そして昨日もいつも通りメルカリで売れた本を梱包して、コンビニ行きレジはもちろんその子でした。
「よく本を読まれるんですか?」
彼がレジをしながら笑顔で話しかけてくれて、
「そうなんですよ」と僕が笑顔でいうと、
「いつも勉強されてるイメージがあって凄い尊敬してます」って言われたんです。
僕は「そんなに?」と思いながらも、その「わざわざ」が嬉しかったので、「ありがとうございます」と僕が伝えると、
「僕も見習って、先日、大学時代の教科書をメルカリで売ろうと思って、やってみたら意外と売れました」と言われたんです。
誰もいないコンビニで起こった優しい時間でした。
僕はこのままの気持ち(ありがとう)を形にしないのは勿体無いと思ったので、僕がコーヒーを飲むフリをして、オススメのコーヒーを聞き出し、そのコーヒーを彼にプレゼントして帰りました。
彼は「えっいいんですか?ありがとうございます」と深々と頭を下げてくれました。
この話は昨日あった実際の話です。
僕は「人の可能性を広げる」というテーマで活動していますが、そう思うようになったのは自分の可能性を信じた「あの日」からでした。
18歳で社会人になり、仕事は一所懸命でしたが、天井(上を)を見た時にすぐにやめたくなる自分の性格でなやんでいた時期もたくさんありました。
人は思っているよりも高いところまで行けるし、何歳からでも変わる事はできる。ですが、一番難しいのが「変われる」と信じる切ることで、このサポートをするのが僕の一生をかけた仕事だと思っています。
正直、今でも自分の無力さに悩むことはあります。
僕に足らない事は選択することだと思っていて、相手に助けを求められると時間を使ってしまうことです。
ほっとけばいいし時間がもったいない。でも、困っている人がいるなら、それは本気で助けたいと思ってしまう。
その結果、軽く話だけ聞いて欲しいだけの人に時間を使ってしまったりしてしまいます。
「お前本気で人生変えたいと思ってんなら…」と思っちゃうし、言っちゃいます。
その結果は、「性格が悪い」「また宗教だ」「綺麗事だ」と揶揄された事は五万とあります。
ですが、僕の宿命は「人の可能性を広げること」だと思っているので自分の可能性もそうですが、人の可能性も信じることの大切さを伝えていかなきゃいけないと思っています。
その為には好かれるための嘘をつく必要はなくて、関係性を作った後は本気でぶつかる方が大事だと思います。
「バタフライエフェクト効果」というのを知っていますか?
簡単にいうと、「影響は見えないところにまで派生する」ことで、
例えば、
「今日機嫌いいじゃん!」
「そうなの!すごくいいことがあってさ!」
という会話があったとします。
これでいうと凄くいいことをしてもらって機嫌がいい場合、機嫌が良くなるほどに良いことを与えた人(相手)が存在するということです。
その人(与えた人)は、「機嫌がいいじゃん!」と言った人にも影響を与えているわけです。
#わかるかな
これをバタフライエフェクト効果と世間では呼ぶらしいっす。
「ありがとう」と言ってもらえるチャンスはいくらでもある
僕は世の中は「ありがとう」を多く言われているのかどうかだと思っていて、もっというと「ありがとう」を取りに行けるのか?だと思っています。
世の中に「ごめんなさい」を言うチャンスはなくて、事が起こってからしか使えません。
僕は友達に「生きててごめんなさい」とラインすると心配されると思いますが、「生きててありがとう」と伝えると、これからもよろしくねとなると思います。
「ありがとう」は自分で見つけることができれば永久にどこででも使えます。
昨日は、それを感じることが出来た。素敵な時間でした。
僕が会社を建てた際は「ありがとう」を1日に最低5回は伝えると言う社訓を作りますし、上司になる人には20回のありがとうを言うと言う社訓を作ると思います。
生意気ですが、
実際色々なプロジェクトをやっていく中で、「ありがとう」が言えない人は壊滅的にコミニケーションが低い人が多いので、僕自身でいうと一緒にお仕事をしたいと思えない方が多いと思います。
そう考えると、昨日の彼とはいつか何かをしたいと思える子だと思いました。
「ありがとう」を頭の中心に置いて生活してみてください。
何か変わるかもしれませんよ。
そんなこんなで坂口靖彦でした。
ばいちゃ〜