映画MATRIXについて最近考察したこと

映画Matrixを客観的に考察すると、「機械は人間を電池にした」という事の違和感。電源は核発電が一番容量が大きく放射線の影響を受けない機械ならばもっとも効率が良いだろう、人間の発電量なんてたかが知れてる生存させるエネルギーでほとんどを使ってしまうかもしれない。つまり誤解から産まれたセリフの様に思える。
「機械」達はその性質上設計者からある重大で基本的な命令を受けているはずで、それはなんなのか? それは人類種の保存ではないだろうか、、 人類を滅ぼすのは簡単だろう、もう滅びかけてるし、避妊ウィルスでもばら蒔けば100年で全滅だ。 でも隷属的とはいえ生かし続けてる。 では世界の真実はなんだったのか、、
核爆弾による分厚い雲と荒廃した地上をみれば核戦争があった事は間違いないが、それが人間VS機械のものだったのだろうか? 実は核戦争を起こしたのは人間同士で、荒廃して人類が生存できない状態になった時どのように生き残ろうとしたのか、、もはや卵子と精子ので種の保存にかけたのかもしれない。そしてその管理をAI「MATRIX」に託した。地上が人類が住めるまで自然が回復するまでに、、しかし問題が生じた凍結保存した人の種には保存期限があった。それを経過すると奇形が生まれる可能性が高くなる事が判明、そこで期限ギリギリの種を冬眠状態で誕生させて新しい種を作る必要が出て来た。また冬眠中の人の意識をバーチャル空間で管理し文化の継承も行おうとした。しかし管理上のエラーや奇形が生まれる可能性の高い遺伝子を持つものは排除された。それがあのレジスタンスの人類で、同時に地上が人類生存可能状態かどうかのテストも兼ねていると思われ、彼らは厳重に監視されている事に気づいていないのかもしれない。そして現状を彼らの立場から解釈すると「電池説」となり彼らの中ではそれが主流になっているのだろう。 もっとも「機械」には人権を守るなどと言う事はないだろうから、家畜のような扱いになり外の人間からすれば屈辱的だろう。でも「機械」にはそんな感情など気にも留めないはず。

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