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建築設備用CAD2.5次元初体験(先週のつづき)
いきなり設備技術や
当時はまだ20代前半。時はバブルの余韻が残る1990年台初め。バブルで都心は大規模な再開発がいくつもスタートしていた時代です。
転職するのも結構簡単で、求人雑誌は何冊も発売されていました。書店や駅の売店キヨスクの店頭に並んでいたのをよく買っていました。もちろんハローワークでも就職先を探すこともできました。ただハローワークは平日しかやってないので仕事しながら転職先を探すのには不向きでしたけど。
そんなことでCADの仕事は求人雑誌に掲載されていたと記憶しています。
いざ面接へ
このころの自分は結構な人見知り、というか人間恐怖症でした。とにかくヒトと関わるのが怖い。ヒトになるべく会いたくない。だから人にあまり接しなくて済む仕事をしたい。というのと、なるべく楽にできる仕事がいいなぁ。残業なくて休みが多くて楽な仕事がいいなぁ。何やりたいっていうことは全くないしー。
CADって使ったことはないけど、図面作成するのだからヒトとはあまり関わらなくて済むんじゃないかなぁ。一日中コンピューターの前にいて入力していればいいんだよな。そんなに残業にもならないだろうし、休日も多め(1990年代初頭の中小企業は土曜日は半日出勤という会社もまだまだありました。)のようなこと書いてある。なんていうことで求人に応募したというなんともやる気のない動機です。
面接はすんなり日程が決まって、当日の面接はやる気ない感丸出しで向かいました。
なんかイメージと違う
面接会場は日本橋室町近くの本社ビル。先ほどもお話しましたが、とにかくヒト恐怖症なもんで、あまり外出はしない者です。日本橋なんてほとんど行ったことはございませんでした。だからまず行き方が良くわからない。求人雑誌の案内には最寄り駅で一番近いのは新日本橋駅と地下鉄の三越前駅。ちょっと歩いて神田駅という立地。さてどうやって行くかね~。って今だったらGoogleマップで到着時間まで調べられます。が、当時はまだGoogleはおろかスマホどころか携帯電話すら一般的でない時代です。三越前駅まで行ったらあとは住所を頼りに、ゼンリンの小型の地図をもって向かいました。
地図に関しては小学生のころから自転車でツーリングしたり、高校生になるとバイクでツーリングしてりで見るのは慣れていました。
そんことでわりとすんなり本社に到着。
到着して「本日何時に面接のお約束をして立川です。」とたしか事務の方に
伝えたように記憶しています。
そのあとは応接室の通されて、課長さんからいろいろ話を聞いたり、自分の経歴の話をしたりしました。そこで当然ですがCADの話になりました。この会社でCADを導入したのはごくごく最近だということ。CADを導入するにあたり建築設備の基本設計業務を始めたこと。CADの仕事は某大手サブコンからのみ受注していること。CADの実質的責任者はそもそも営業をやっていた人で、建築設備の知識は某大手サブコンのCAD課にご指導いただきながら進めているということ。CAD課は今一人で業務していて、業務量が多くなる見込みなので増員することになった等々。お話をお伺いしていたところに、CAD課で唯一の責任者の方が応接室に入ってきました。
この人、身長はだいぶ小ぶりで、髪型はオールバック、メガネがちょっと色の入ったレンズで見るからに癖のありそうな雰囲気。目はキツネ目。
という風体の責任者との初対面。
課長さんとキツネ目色眼鏡の責任者の方とのお話は多分30分くらいだったと思います。そのあとは社内を案内してもらいました。
この会社の主な業務は土木工事や建築工事の竣工図面や施工図をトレースしたり、青焼きして、製本する業務です。この時代はまだまだ2次元のCADも一般的ではなくて、トレーサーの方が手書きで図面を清書していました。この会社でもトレーサーの方が6名ほどいてドラフターに向き合って図面を書いていた光景を今でもはっきりと覚えています。
また、違う部署ではA1などの図面を青焼きしたり、製本していました。青焼きは大きな複写機のような機械でやっていたかと思います。製本は職人さんの手作業でやっていました。
社内を見学させてもらって、CADで建築設備の設計をするという仕事とはだいぶ印象が違うぞ、という印象を持ったことを覚えています。
そんこんなで面接は無事に終わり、結果は後日お知らせしますと告げられ
日本橋の会社を後にしたのでした。
来週へ続く