【科学=「あれ、これってあれなんじゃね??あれ、やばくね?」→「うおー」】
【科学=「あれ、これってあれなんじゃね??あれ、やばくね?」→「うおー」】
どうしてこの動画(最後に貼りました)で述べられているように技術は加速度的に進歩するのだろうか。体感的にまた、歴史を振り返ってみたときになんとなくそれは正しいように思える。ということはこれからもそのような加速度的な進歩、今まで見たよりも凄まじいスピードで技術は進歩していくのだろうけれども、はたしてそれはなぜ起きるのだろうか。
ひとまずディープラーニングというものが衝撃的だ。学ぶということはものすごく人間的なものであると考えていたけれど、それがすでに可視化されパターン化されつつあるということ。パターン化されたとき行動の原因と結果が明らかになる。それはつまり未来もまた予測可能になるということ。
話は変わるが、最近、鎌倉時代に書かれた文章を読んでいるのだけれどもその先見性というか洞察の深さというものに驚いている。
基本的に科学というものは、普遍的であること、証明できることに価値を置く。証明というとわかりやすくいうと誰にでもわかるようにすること(反論をさせないレベルまでに)なんだけれども、なんというか皮肉なことにその証明は多くの人にはわからない。
具体的なことを言うと例えば、私は相対性理論は精読したことはない。なんの根拠もないが、ある程度の時間をかければ相対性理論の記述もある程度理解できると思う。しかしながら私はそれに限られた人生の時間を使うという選択をしようとは思わない。よって概略のみ知っている。
多くの人もそうであろう。なんとなく相対性理論というのは聞いたことあるし、なんとなくわかっているような気もするし、そういうものだ。けど、じゃあ説明して見てくださいというと多くの人は困る。でもそれは正しいとなんとなくみんなが思っている。
科学というものはそういうものだ。一人のぶっ飛んだ人間が「あれ、これってあれなんじゃね??あれ、もしかして??」みたいなひらめきを「科学的に」証明し、まわりのひとも「うおー、すげー、おお、そうじゃんまじやべー」となってその考えた方が少しずつ広まっていく。そしてそのひらめきの恩恵を知る知らないはあるにしてもなんらかの形でみんな受けている(のかもしれない)
その私が読んでいる鎌倉時代の人もまた、「あれ、これってあれなんじゃね?あれ、やばくね???」ってなってからそれを証明するためにあれやこれやと10年くらい勉強しまくったらしい。それで確信しきれたところ、裏付けがとれたところで「どや!!!」といって宣言をしたらしい。
もちろんこれはニュアンスなのでかなり恐れ多いことになっている可能性が否めないが、まあそこはさーせん。(すいません)
まあひとまずシンギュラリティ(技術的特異点)はもうすぐやってくるだろうし、私はどちらかといえばそれにワクワクしている。
そんなシンギュラリティに関する動画を最後に貼って終わろうと思う。