婿、家、地域、あれこれ
吾輩は婿である。
今はあまり婿という呼び方をしないという話しを聞いたことがあるし、婿かどうかを気にする人も少なくなってきているようで、昔のような差別的な風習は廃れてきていると言っていいだろう。
現に私もそれほど困ってはいない。
ただ、ちょっとだけ意見したくなるときもある。
※便宜上、世間一般的なイメージの呼称を婿として記述します
目次
・婿のバリエーション
・田舎
・内と外
・まとめ
婿のバリエーション
婿にも色々なバリエーションがある。
そのバリエーションによってある種の意気込みが伝わるのではないかと思う。
①姓は変えず、妻の実家で暮らす
②姓を変えて、妻の実家では暮らさず、新戸籍とする。
③姓を変えて、妻の実家で暮らすが、新戸籍とする
④姓を変えて、妻の実家で暮らし、妻の家系の戸籍に入る(養子縁組する)
私の場合は④である。
そう、婿の完全体なのである。
例えば、養子縁組していることにより、"妻の両親"から見ると私は息子になり、妻と離婚することになっても私と"妻の両親"との親子関係は継続する。
例えば、妻の両親が亡くなった場合の相続では、私にも相続権が発生し、法定相続分が減ることもない。
故に簡単には逃げられない。
ちなみに、姓を変えることについては、多少の抵抗はあったが慣れてしまえば今の姓の方がしっくりくると思ってしまうくらい些細な問題であった。
田舎
妻の実家はとても田舎だ。
どのくらい田舎かというとコンビニはなく、駅もなく、山には鹿が出没する。
妻と付き合っていたときに両親への挨拶で初めて訪れたときは、「とてものどかで良いところだ」という感想を抱いた。
ところが、仕事を通じて地域の人と関わってみると印象が変わった。
会社が少ないので、サラリーマンが少なく個人事業主が多いため、ひとりひとりが地域経済の存続を守ろうと必死になっていた。
良く言えば「生きる力が強い」、悪く言えば「がめつい」といった印象で、決してのどかなどではなかった。
ただ、観光地でもあり海も近いため、夏になると観光客であふれる。
子供と気軽に海に遊びに行けるし、仕事で疲れたときは海を眺めるだけでとても癒やされる。
また、東京暮らしのときは子供が月一回は風邪やら胃腸炎やらで病気になっていたのが、田舎暮らしが始まってから一切病気にならなくなった。
不便を感じることもあるが、中々良いものだというのが田舎暮らしの全体の感想だ。
内と外
家の中でも外でも自分の意見が通りにくいと思うことがある。
一個人の意見でものを言っても、その地域特有の考え方に合致していないと、多数決で負けることになり、いくら正しい事を言っていたとしても否定され、通らない。
家の中では妻の家族が多数派になる。
家の外では住民が多数派になる。
もちろん孤軍奮闘しなければならない場面もあるが、地域の特性を理解していると立ち回りも変わってくるという話しだ。
当初はこの特性に大いに苦労した。
妻に愚痴を言うこともあったし、妻の両親と気まずくなるときもあった。
今では私の言うことを聞いてくれる人も増え、ある程度地位も向上した。
もしかしたら私は、世の中の「お嫁さん」の気持ちをとても良く理解できるのではないかと思ったりもする。(お互い頑張りましょう、と。)
まとめ
私の場合、個人ごとに感じる幸福や不満を定量化できたならば、東京暮らしのときに感じていた幸福や不満と、田舎暮らしで感じている幸福や不満は、種類は違えども総量は大して変わらないのではないかと思う。
そのため、婿もそれほど悪くはないというのが本音だ。
もちろんこれは私の場合であり、他の人の場合では当てはまらないかもしれない。
また、田舎には良い意味での地域の特性と悪い意味での地域の特性が存在し、悪い意味での地域の特性が存在し続けるうちは、若年層の移住は進まず、高齢化を生み、地域が衰退していくのだろうというのは切に感じる。
しかし、この問題に関して私の中では、おそらく変えることは不可能だという結論に達してしまっているため、地域の中で率先して改善しようという気は起きない。
この点は、私は卑怯ものと言えるだろう。
ただ、今住んでいる地域を私は好きであり、これにより今後心境に変化が現れれば行動にも変化が起きるかもしれない。
住めば都と言う言葉が生まれた意味を実感した婿暮らしである。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。
今回は愚痴が多めに文章に出ていたかと思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
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