コロナ禍がもたらしたモノ・コト~その8~
ところで、前回お伝えしたような気づき、「仕事もプライベートも、自分の人生のいかなるシーンにもしっかり向き合うことで、人生は真の充実と幸せに向かう」という気づきに至るまでの私の人生はどんなであったか?以降、それについて触れていきたい。正直、とても恥ずかしい人生だ。しかしコペルニクス的転回のインパクトをお伝えするには、私の人生の負の部分をお伝えするのが最も明快な手段と思い、あえて披露する。
幼少時、私は重い喘息を患っており、8歳~10歳までの3年間を親元から遠く離れた病院で過ごした。その間の教育は病院の敷地内にある養護学校で行われた。1~2年生併せて1クラス(4人)、3~4年生併せて1クラス(6人)というクラス編成なので、先生が1年生向けの授業を行っている最中、2年生はお休み時間という状況である。しかも授業は午前中で終わり。さらに毎朝厳しい健康チェックがあって、パスしないと登校が許可されないので、恐らく通常の義務教育の四分の一くらいの時間数しか授業を受けていない。
そして退院し、小学5年生から一般の学校へ。6年生まで病院にいると「養護学校卒」という学歴になるので、それを避けるために親が頑張って医師に掛け合い退院させてもらったそうだ。退院させてもらい3年ぶりに娑婆に出た私は、ようやく親と妹と一緒に暮らせることとなったが、そのとき住んでいたところがまずかった。東京都杉並区であった。
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