自己紹介【育ちと仕事】
幼少期~高校
生まれと育ちは大阪の岸和田
だんじり祭りで有名なところではあるがガラが悪い印象があり個人的にはあまり好きではない。
小学生のときに「ぼくのなつやすみ」というゲームに出会い、田舎が自然が地球が好きになり、よく近所のごみ拾いをしていた。が、親にそのごみをどうするのかと言われ落ち込んだりしていた。
小学校の卒業式では「将来地球を守る大人になりたいです」と言っていたことを今でも鮮明に覚えている
中学は平凡。中1ギャップにやられおとなしく過ごす。真面目なので部活は毎日がんばっていっていた。陸上部長距離だったが別に走るのが速いわけでも好きなわけでもなかった
高校は選択肢があったのでできるだけ田舎の方にある高校へ。高校生活もいたって平凡に部活だけを頑張っていた。大学選びももちろん田舎の方へ。
大学
公立鳥取環境大学へ入学。初めての1人暮らし。
やりたいことは全部やると決めていたのでなんにでも手を出して、興味の惹かれる方へ流れていった。
学生ボランティア(地域での活動)
学生リーダー(小学生キャンプの引率)
サークルへの加入(陸上・地球環境を考える・International)
温暖化防止センターでのバイト
教職課程の履修(中高理科一種)
海外研修や旅行(NZ・ドイツ・フランス・台湾・イタリア)
友だちにも恵まれおかげで大学生活は充実していた。しかし、学業が疎かになってしまった感じが否めない。
就活は県外で普通にしていたが最終的になんかそれじゃあおもしろくないなあと感じていただいていた内定をお断りし、関りの深まった鳥取の地域で家と仕事を探し、大人の協力がありみごと勝ち取る
仕事【保育所調理】
大学卒業後2年間保育所で調理補助として働かせてもらった。まさか自分が受かるとも思っていなかったので驚いたがとても充実した2年間を過ごすことができたので快く受け入れてくれた職場の皆さんに感謝しかない。
調理をしたかった理由は
調理師免許が取得できる可能性がある
食育に興味があった
子どもたちを前線でないところで関わりたかった
といったところだ。就職して1年もたたない3月に地域での仕事の話をもらったのだがタイミングも遅く、迷惑もかけたくなかったのでもう1年働き計2年間勤めたことになる。
退職後ではあるがもちろん調理師の免許を取得した。
仕事【まちづくり委員会事務局】
自分の住んでいる地域には旧小学校単位でまちづくり委員会という組織が町の旗振りで立ち上がっている。その事務局を3年と4か月勤めさせていただいた。退職理由は心身の不調。正規雇用ではないためダブル、トリプル、フォースワークを重ねていたことで尿路結石や過敏性腸症候群を引き起こし仕事を1本にするために退職することとなった。
仕事内容としては
地域の居場所づくり
世代間交流会の実施
体操教室やおしゃべりカフェ
認知症予防
独居高齢者の見守り訪問 などなど
職務は多岐にわたるため、なんでもしなければならなかったぶん、やりがいもあり、地域のために仕事ができていることがとても楽しかった。
しかし、1人で仕事をしなければならなかったため多忙で、相談相手が身近にいないことが辛かった。
仕事【学童保育】
3ねん4か月の間、まちづくくり委員会での仕事の傍ら、夕方には学童保育の仕事に出ていた。その後は仕事を学童1本に絞り1年と4か月勤めた。なぜ、1年少しでやめたかは別記事で。
学童の仕事もとてもやりがいがあった。児童の日々の成長のためにできることを考え、その児童に合った方法ややり方を模索する。また、放課後という児童にとって貴重な時間を預かっているため、いろいろなことを経験させてやりたいが「安全で安心な保育」という壁に何度も立ちふさがられた。
2年間施設の責任者をさせていただき、コロナ前だった年の夏は全力を出し切った。学童は大好きな仕事ではあるが難しい側面が多い仕事だ。
その他のお仕事
他にもいろいろな仕事を経験している
温暖化防止センターでの事務、イベント補助
りんご園での剪定や袋掛け作業
道の駅での選果
はちみつ採取手伝い
家庭教師 など
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