もし世界が3つに分かれていたら。

もし世界が3つに分かれていたら。

あなたは3つの世界のどこかにいて
他の世界の人とも普通に話せて
だけど行くことはできなくて
だけど何かがきっかけで違う世界にいて
だけど違う世界に来たことに自分は気づいていなくて

恋人は違う世界にいて
親は同じ世界にいて
兄弟は違う世界にいる

だけど毎日会っていて

だけどすれ違うだけのあの人は
同じ世界の人で
だけどその一瞬しか会わない

会えない人は山のようにいて

その出逢いに何か意味があって
嫌いなあの人は実は救世主であって
友達は実は怖い存在であって
いつもは味方で
その友達も同じ世界にいて
同じ悩みを今日も抱える

1羽の鳥は今日も飛び
70億人はそれぞれ違う事を考える

大統領も1人の人間で
恋人と同じ世界にいるのかもしれない
同じ世界にいる人と逢えなかったり
違う世界の人と逢ったり

お互いが引き合うかのように
そこには誰もが想像できないほどの
うねりがあって
あなたはそれに惹かれ合いながら
今日も生きている

例えば人助けをするあなたと
殺人犯のあの人は
同じ世界にいて
『怖いね』と言いながら
あなたは嫌いなあの人の悪口を陰で言っている

この時点で
殺人犯もあなたも思考は変わらず
目の前に起こった現象に対し
人は良し悪しを裁く

思考は誰にも見えないのであって
その見えない思考から
どの世界にいるのかは変わってくる

思考とは面白くて
見たもの感じたことに対して
70億人みんなが違う事を考える
似ていてもみんな違う

1つの見える世界が
複数の見えない世界で分かれている

世界と世界の境界線はなく
ぼけあっていて
はっきりとしていないので
見ることはできない

だからあなたが逢ったことのある
人たちは決して偶然ではなく必然であって
ハンカチを拾ってくれただけのあの人も
必然の出逢いで
それをみんな運命と呼ぶ

運命は自分で変えることができる

同じ世界にいながら
違う世界に住んでいる

今出逢えている人々に何かを変えられたり
全ての出来事に意味があるとしたら
あなたは悩むことなく
困難に立ち向かえる

そして今起こった出来事に
なんの意味があるのだろうと考えるだろう

なぜその人とめぐり逢えたのか
いつめぐり逢うのか
どこにいるのか
誰にもわからない

それは必然めぐり逢っているとしても…..


2022年1月
おばあちゃんが亡くなった
上の文はこのおばあちゃんにお世話になっている時に書いた文章。言葉。感情。必筆。

お世話になった人が亡くなる時に
何もできない自分というものに苛立ちすらある。

だからせめて
葬式の日に最後にかけてあげる言葉を真剣に考えた。

何も思いつかない。
ベストの言葉とはないのだろう。

日頃からその人を想い、納得の行く生き方をしていなければ
いざという時言葉すら見つからないのが今になってよく分かる。

ある意味
これで僕は自分を変える事が出来る気している

今更だが、すごく悲しい気持ちで
悔しい気持ちでいっぱいだ

今日は快晴だ。

今までありがとうおばあちゃん。
僕のこの情けない人生にとっておばあちゃんはとてつもなく
偉大な存在だったよ。
本当にありがとうございました

安らかにお眠りください。
天国でも漢方の勉強がんばってね。
また逢おうね

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