途上国でチャレンジする人を増やしたい
初めての note です...少し緊張してます。
フリークアウトという会社で広告事業のグローバル化を推進しています。2015年にインドネシア事業の立ち上げから始まり、5年弱ほど東南アジアを転々とする生活をしてきました。
昨年末あたりから IVS@BKK、経産省、Genesia Ventures 主催「東南アジアNight Vol.1」など、いくつか東南アジア展開に関するイベントに登壇させて頂く機会を頂き、海外での経験資産をアウトプットする場が増えてきました。
こういった活動も全て「途上国でチャレンジする人を増やしたい」という想いからきており、今日は、なぜそういう想いに至ったか、また大義だけでなくどんな実利があるのか、という点をまとめていきたいと思います。
ちなみに話をまとめるのが苦手な人間で、社内総会でも10分間のところ、いつも25分くらい話してしまう癖が強いのでそこはご容赦ください(←こういうエクスキューズが既に余計ですよね...)着地がどうなるか不安ではありますが、どうぞ最後までお付き合いください。
途上国チャレンジすることになった経緯
帰国子女でもなければ「グローバルキャリアを歩みたい!」といった野心が先にあった訳でもなく、また語学も大学受験レベル。たまたま会社の事業フェーズと、僕の当時のミッションに対する飽きのバイオリズム、その結果として投下資本に対してのパフォーマンス効率の低下があったことに合わせて、人事という間接部門だったので事業部のエースよりも動かしやすかった、というのが正直なところだと思います。
会社としては、2012年にニューヨークから海外チャレンジしたものの、競争環境とチャレンジコストの高さ、及び日本事業との開発リソースコンフリクトなど、様々な要因から撤退することになり、競争環境が緩やかで、チャレンジコストも低く、技術優位性が活かせる途上国を攻めていこう、というタイミングでした。
採用イベントの帰りに佐藤さんから「海外やる?」と聞かれて、「いってきます!」と当時お付き合いしたての彼女(現在の嫁)がいたにも関わらず相談もせず即答だった記憶です。
いくつか立ち上げ先の候補はあったんだすが、人口規模及び市場の未成熟性から来るボラの大きさと最悪頼れる人がいるということでインドネシアを選択。と、ここも結果的にインドネシアに決めましたが、当時は「海外」や「インドネシア」というところに特に強い意志はもっていませんでした。
"個人でいうと、インドネシアには(鈴木)タカさんがいるから行きました。生活には困らなそう、と思い(笑) "
「グローバルで勝ちたい」 と思うようになった背景
海外チャレンジのきっかけは自分で意図せず作ってもらったものだったんですが、実際に海外に住んでみて事業をするなかで、本気で「グローバルで勝ちたい」と強く想うようになってきました。それは、大きなギャップを感じたことがきっかけでした。
前職ではモバイルブラウザゲームのプラットフォームにて外部開発会社や版元との提携業務に従事していたのですが、2年いた後半は開発パートナー企業の海外展開をリードするプロジェクトを推進していました。そこで、数々のタイトルの海外輸出をトライしたのですが、なかなか手応えのあるヒット作品を送り出すことができず、また当時は様々なインターネット企業が海外へ挑戦しては爆死し、逆に mixi が Facebook に喰われるなど海外サービスが日本人の生活へ次々と侵食してくる流れに逆らえず、「あーやっぱ日本企業は世界で勝てねぇよ」感がインターネット業界内に漂っていました。
海外に出て目の当たりにしたもの
そういった過去の苦い経験をもって、いざインドネシアにでて目にしたものは、街中に走るトヨタ車でした。当時建設中だったジャカルタ初の地下鉄は日系企業が受注、建設をしていました。また、インドネシア人の誰もが NARUTO やドラゴンボールを知ってるし、ショッピングモールにいけば Pokemon Go をプレイしてる人だらけでした。
「あぁ、日系企業が世界で勝てないというのは嘘だったんだな。」
むしろ、インフラ、ハード、コンテンツの時代には、日本は世界で大勝ちしてたんだ、ということを改めて実感させられました。ただ、インターネットが勃興したソフトウェアの時代に大負けをしてしまっている、というだけの話。これからは、ソフトウェアが日本が強みとしているハードに溶け込んでくる新しい時代。またブロックチェーンや AR / VR など、テクノロジーの進化によって、インターネットと隣接しながらも独自の世界が登場してくる時代です。
そうした新しい時代が本格的に到来した時には、日本はまた世界を獲れる可能性にあるのではないか、少なくともそのステージに立って、グローバルでボコり合いに参戦すべなのではないか、と次第に思うようになりました。
たくさん共感することが多かった記事から引用↓
"グローバルで大活躍している日本企業は古くから今まで生まれ続けているとも言えるし、例えば飲食でも海外の主要都市に行くと、どこに行っても吉野家があって、丸亀製麺があって、銀だこがあって、みたいな...(中略)日本発のグローバル企業って既にたくさん生まれてはいるし、生まれ続けてもいると思うんですよね。"
まずは自社がグローバル市場で勝つ
「あーやっぱ日本企業は世界で勝てねぇよ」と思ってた当時の自分や業界の感覚と、いざ自分が途上国に出て肌で感じた可能性に大きなギャップを感じ、もしこの感覚のギャップを埋めることができれば、インターネット業界全体のグローバル展開における課題を解決できる何かに近づけるかもしれない、と強く想うようになり、まずは自社がその成功事例になってやる、という意志をもってフリークアウトの海外展開を推進してきました。
途上国展開を初めて5年弱、海外売上も50%を超え、収益化も達成。
3年前、まだ通期海外売上が6億円程度しかなかった頃に、中期計画でたてた20年期海外売上100億円という数字はほぼ達成可能な進捗になってきました。
結果的には、M&A 子会社中心の売上及び収益構造となってますが、M&A 活動も自社事業の展開に密接に紐づいており、自社事業の展開がなければ M&A が成立してなかったこと、この間合計 8件の海外M&Aを実行しましたが、専任チームなどはなく、自社事業の執行メンバーが M&A 先のソーシングからファイナンスチームの頭も借りながらディールクローズまで、何も分からないところから手探りで全て担っていたことから、自社海外事業と合わせて海外事業としての総合的な成果として見るべきかと考えています。
一方で、自社海外事業単体については、自ら赴任して立ち上げたインドネシアについては大きな成果をあげられたものの、グローバル全体としては執行責任者としての甘さから数々の失敗を繰り返し、また海外赴任者特有の「孤独」「飽き」から原則を踏み外して判断を誤ることもしばしばありました。ここは、大きな学びとして2週目以降に活かすためにも資産化していこうと考えています。
途上国で挑戦する人を増やしたい理由
もちろんライフワークとしての大義もありますが、途上国で挑戦する事業や人が増える、ということが結果的に自社も含めた業界全体のグローバル市場における成功確率を高めることにつながる、と考えているからです。大義を為すことが自社の成果につながり、自社として成果をあげることが大義を為すことにつながる状態、ですね。
自社として「グローバルで勝つ」というところに対して、現在進捗率はまだまだ10%未満。ここから、再現性もってより大きな成果をあげていくには、そもそもの途上国チャレンジ人口がまだまだ少ないと感じています。数多くのインターネット企業が途上国チャレンジをすることで経験人口も増え、その中で人材がぐるぐると流動していくことで、自社含めてインターネット時代以降の業界全体のグローバルにおける成功確率を高めていくことにつながる、と考えています。
というのも、立ち上げ期においてボトルネックになってくるのが、人の問題であることが多かったからです。なので、途上国挑戦人口を増やし、人材の流動性を高めることで、そういった問題を解決することにつなげていきたい、と考えています。
途上国の展開には、たくさんの罠があります。
それは、途上国という市場特性から生じるものもあれば、日本企業の途上国展開によるトレードオフから生じるもの、そして海外事業責任者における特有の環境から生じるもの、など様々な罠があります。ひとつひとつの罠に対して、今振り返るとどう対処すべきだったのか、という話を展開していくことで、これから途上国チャレンジを始めるインターネット企業やスタートアップ経営者にも共有できるものは積極的にシェアしていきたいと考えています。
アジア展開を考えているスタートアップ経営者、海外事業責任者の方がいらっしゃれば気軽にご連絡ください!
今日はここまで
今回は「途上国で挑戦する人を増やしたい」と想った背景について書かせていただきました。次回以降は、実際にどんな罠があったのか、といった経験談を中心にまとめていきたいと思います。
・異なる言語のメンバーをマネジメントする際に陥った罠
・リモートマネジメントの罠
・「孤独」「飽き」が海外赴任者を誘惑する罠
それでは、いつになるか分からない次回が来る日まで。笑
Bye,