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僕は自分の心の中を言語化するのが苦手だ。
こんばんは、安田です。僕は学生時代から勉強が苦手でした当然読書感想文なんかも苦手で。
ページ数を稼ぐ為に「。」を多用して段落を変えると言う姑息な手を使ってた位ですw
そのくせ、Instagramのストーリーは頻繁に更新してて、言語化するのが苦手なくせに人に自分の事をしってほしい面倒な奴です。
昨晩とあるクリエイターの方が別の人物としてやってたYouTubeのキャラは僕ですと告白とある種の謝罪をされてて。
クリエイターとしてのその人のツイートや写真は見てたけどYouTubeは音楽を聴く以外に使ってないので知らず衝撃はなかったですw
ただ、思う事はその才能に嫉妬してしまう事、その人の特徴に言語化で共感を集める事。
僕も影響を受けて写真に言葉を載せてみようと思いましたがすぐに辞めました。
なんか言葉を載せると自分の写真が陳腐になる気がしたんです、僕達が生きてる日々は別に毎日驚きがあって。
大きな喜びやサプライズが起きるわけないじゃないですか?起きて飯食って仕事行って帰ってきて写真を現像して寝る。
僕がポートレート撮影で気に入ったモデルさんと沢山あって困る事は会話のネタです。
お互い普通の日々過ごしてるだけで月に2回も会えばネタってないんですよねw
そのクリエイターさんは1か2しか新鮮味のない日常を10にも20にも共感される言葉として発表できる凄い人だと思います。
僕にはその演じることが出来ない、演じようとしても冷めて見てる自分が居て。
その自分の声が大きくなって役になり切る事が出来ない、写真をしてる人が通るだろう道としては。
とりまボケの新鮮さからボケボケ写真、ポートレートを撮って。 JPEG至上主義になって。
自分のプリセットとは?って悩んで、次は自分の撮り方って何だろう?って悩んでいく気がして。
僕はまさにそれで、演じる事は出来ないし希望色というのはあるけど、余りにも自分の常識から逸脱した色はやっぱり自分の中で違和感があって出来なくて。
結局、自分は自分。凄いクリエイターの人や全く目にみてる色と違う写真に出来てしまう人。
沢山個性のある人が居て、僕は普通の毎日と一緒。逸脱しすぎない写真、色、構図
それでも自分らしさだと信じて自分の感性を信じて撮ること、それが今できる事なのかなと。
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