平成最後の大寒禊に行ってきました
皆さんこんばんは。本日は毎年恒例の大寒禊に行ってまいりました。
平成24年(後に平成22年からと発覚)から参加しておりますので、かれこれ7回目(後に9回目と発覚)になります。
ささやかではありますが、noteの皆様のご多幸もお祈りしながら、寒水を頭より被って参りました。
禊というと、通常は神職の方が神事を行う前に行う神事でしたが、当社の宮司様が平成元年に一般の人々にも、禊を体験してもらい、一歩を踏み出す勇気を持って欲しいとの願いから始まったとのことです。
今年のテーマは、災害の多い日本の国において、少しでも平穏無事を祈り、各々が些細なことでも良いから人々のお役に立つことを決意するというものでした。
ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、神道においては、国津神【クニツカミ】から天津神【アマツカミ】に始まり、八百万【やおよろず】の神というように、自然のありとあらゆる万物に神が宿るという考え方をします。ですから、自然災害についても神々の活動として受け入れて、少しでも平穏を祈るということになるようです。
以下は、今回私が体験してきた禊の様子になります。長文となりますので、お時間がある方のみどうぞ。
禊行の構成
一.「祓殿大神(はらえどのおおかみ)と唱える。
一. 「鳥船行事」(和歌を詠みながら、船を漕ぐような動きをする)準備運動
一. 「雄健(おたけび)行事」(神の名を唱える)
一.「氣吹(いぶき)行事」(深呼吸)
一. 「禊行事」(気合を入れて水をかぶる)
周りで見ている方々には、やおら会場に出てきていきなり水を被るように思えますが、実は控えの会場で禊行の練習を兼ねて準備運動をしています。船を漕ぐような動作は、必然と全身の血液循環を促して筋肉をほぐします。もちろん、神事ということで精神を統一して気合いを注入することには間違いはありません。
普段は、お風呂で少し冷たい水に指先が触れるだけでも憚られますが、禊となると、不思議と躊躇なくかぶることができます。もちろん、寒さも感じますし、水の冷たさ、足元は凍えるようになります。言われてみれば、冷たい水をかぶるということ自体が勇気がいることですし、こうしたことが一歩踏み出す勇気につながるのかもしれません。
今年は、前日に雪が降り積もったため、前日から貯めておかれる水溜めにも雪が浮いておりました。一度禊を経験すると、(私だけではないと思いますが)、水溜めの水が冷たければ冷たいほど、天候が悪条件であればあるほど、禊への思いが高まっていきます。(フォロワーの皆様が離れていくかも・・・)
一度頭から寒水をかぶると、今までの迷いが吹っ切れて、無我夢中に水を浴びてしまいます。ぬるま湯のような日常を過ごしている体は、冷水を浴びせられることで、生命維持装置のスイッチがオンになるような感覚があります。
CMではありませんが、「生きてる」という実感が湧いてきます。そして、すべてのものに対して、不思議と感謝する気持ちが湧いてきます。
禊行事は、冷水を浴びるところだけではなく、着替えた後で、御神殿にて、御祈祷していただき、祝詞(のりと)を皆で唱和して、直会(なおらい)という食事を通じて、すべての命に感謝をしていただくということまで含めて神事として執り行います。
今年は元号も変わり、日本だけではなく、世界に目を向けても変化の多い年になりそうです。自然に恵まれた日本は、自然災害も多く起こる所でもあります。
私も大寒禊を受けられること自体が幸せなことであり、決して日常が当たり前でないことを改めて思います。一年に一度、春を眼の前にして、自分自身を見つめる良い機会として、これからも継続していきたいです。
最後になりましたが、noteに集う皆様にとって、素晴らしい一年となりますように心からお祈り申し上げます。
(了)