私よりも不幸な人生の人って、現代日本にいる?

私の父は中国人です。父方の祖父は経済学者(大学教授)で、早稲田大学政治経済学部に客員教授として来日していました。その時、留学生として祖父と一緒に来日した息子が私の父です。

父と日本人の母が知り合い、私が生まれますが、私が生まれてまもなく父は中国に帰国しました。母も仕事で忙しかったため、私は幼稚園の頃から母の実家に預けられ、母方の祖母と2人で暮らしていました。

しかし、祖母と2人で過ごす平穏な日々も一転、小学生の途中で突然父に中国に連れ去られてしまいました。

中国語が全く分からず、日本に早く返して欲しい!!と訴えても、殴る蹴るの暴行を受けながら、家に監禁されていました。父は両親から仕送りをしてもらっている無職で、毎日毎日父と二人きりで暴力を受け続け、頭がおかしくなりそうでした。

一応は、日本人小学校に編入しましたが、父は私を北京の有名中高一貫校の留学生枠に入れたかったようで、学校にはほとんど通わせず、私を家に監禁し、父から英語や中国語、数学等の科目を教わっていました。少しでも出来が悪いと、殴る蹴るの暴行は当たり前でした。

無事父の望む中高一貫校の留学生枠に合格できましたが、合格後も、虐待の傷を隠すため家に監禁されていることが多かったため、あまり通学することができませんでした。中2以降から、父の虐待はよりエスカレートしていきました。強制不登校で、ほぼ1日も通学できていませんでした。毎日家で、奴隷のように、サンドバッグ扱いをされていました。性的暴行を含めた激しく苛烈な虐待を受け続け、もういっそ殺してくれとも何度も考えました。

母は未婚の状態で私を出産し、私は非嫡出子だったため出生時より日本国籍しか持っておらず、中国に滞在し続けるにはビザの更新が必要でした。ビザは、半年に1度、父に脅されて日本大使館に連れて行かれ、更新を強要されました。日本にいる祖母や母とも一切連絡は取れませんでしたし、スマホもPCもネットも一切禁止でしたので、後述する18歳で日本に帰国するまで、電子機器に触れたことは一度もありませんでした。

本当に生き地獄のような毎日でした…。逃げ出せばいいと思う方もいるかもしれませんが、バレたら命の危険もあるので恐怖心が勝り、できませんでした。

長期間酷い虐待を受け続け、監禁生活を強いられ身も心もボロボロだったのですが、18歳の時に近所の人の通報から警察に保護され、念願の帰国が叶いました。当時18歳でしたが、父による強制不登校があり留年を繰り返していたため、未だ高校一年生でした。

帰国後、母親代わりだった祖母は既に寝たきりの状態で老人ホームに入居しており、数年ぶりの会話も叶いませんでした。
また、私が生まれ育った母の実家も、母の弟が買取り家族で暮らしていたため、私にとっての実家が無い状態で寂しかったです。なので、仕方なく母親のアパートで母と2人で暮らしを始めました。

帰国後すぐに心療内科に通い、長年の虐待によるPTSDと診断されました。リハビリを続けながら、「夜間中学」という、何らかの事情で義務教育を満足に受けられなかった人が通う学校に入学し、夜間中学を経て、21歳の時に定時制高校に進学し、3年で卒業し、現役で國學院大學に進学しました。

今は平穏に暮らせていますが、精神的な後遺症は今も尚残っており、生活にかなりの支障はありますし、6年の遅れがあるので、年齢を理由に就活で祈られることが多く途方に暮れています。

なお、父は2022年に死去しましたが、その際現地の警察から遺体の保管費用等として150万請求され、仕方なく親族から借金して支払いました。遺産は1円もありませんでした。むしろ代襲相続の問題で、父方のおじやおばと法的に争っている状態で、とても精神的に参っています。

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