自分の自分に対する想いを変えることで世界はだんだんと自分の味方になる。
人生を自分の思い通りにうまくいかせるにはどうしたらいいのか?
自分のやるべきことや人や社会に貢献できることっていったい何なのか?
そもそも自分がやれることや存在価値なんてあるのか?
社会人になってからそんなことを、折に触れて、考え続けてきた。
考えなくてはいけないような局面に直面してきたというほうが正解かもしれないが、その時々で、自分なりに考え、もがき、時には涙を流しながら、頑張ってきた。
きっとそんな人はたくさんいるのではないかと思う。
仕事にせよ、お金にせよ、恋愛にせよ、健康にせよ、人間関係にせよ、人にはそれぞれウィークポイントというのがあると思う。
そのウィークポイントを刺激されるととても痛い。痛いから気になるし、それを克服することをずっとずっと考えている。それはネガティブな案件として自分に刷り込むことをし続けている。
それは自分にとって満たされていない不足感を感じているポイントだ。
その案件についてどんなにポジティブに考えようとしても長年のネガティブな意識を変えることなんて難しい。引き寄せの法則を学び、満たされないところを満たされているように感じようと無理にしたって、心は意識は否定して受け容れない。尚も葛藤は続く。
正直、疲れる。そんな自分がまた嫌になる。自分になんて価値がないと感じる。負のループだ。そんなのを何十年も繰り返してきた。
最近思う。もうどうでもいいや、と。
それがわたし自身であり、長年付き合ってきた愛しい自分だ、と。
葛藤してきた時間が無駄だったとは言わない。今までやってきたい努力や流してきた涙もとても自分らしいし愛おしい。
自分自身をあきらめたわけじゃなく、単にこれが自分と受け容れただけだ。
そして日々なるべく今この瞬間が楽しくなることを考える。
今の自分の状態がどうとか全部抜きにして、今の気分を自分で管理するようにした。嫌なことが起きても周りのせいにせずに、自分の中の何がこれを起こしているんだろう?何に気づけといっているんだろう?と、自分のことなのに自分自身を第三者のように俯瞰して眺めるように努めた。
素直な自分というのは心優しく人に思いやりを示すことができる自分だ。
なるべく調和を取ろうとして人も気遣いつつも、自分も負担がないように、WIN-WINの関係に慣れるように自分を表現できる自分のことだ。
しかし人は人の目が怖い。なんて思われるだろう?自分が思うようにするにはどういう言い方や態度をしたらいいだろう?などと、怖いからこそコントロールしようとする意識が無意識に芽生える。あるいは威圧的に、時に暴力的に、誹謗中傷という言葉の暴力で精神的にダメージを与えたり、実際に身体的に人を傷つけたりする。
でも本当に人は自分自身の鏡でしかないのだと思う。
ある段階の意識レベルにならないとそのことを理解するのは難しいけど、自分自身の中にある無意識に定義している自分の投影なんだと思う。
最初の言葉に戻ることにする。
人生を自分の思い通りにうまくいかせるにはどうしたらいいのか?
自分のやるべきことや人や社会に貢献できることっていったい何なのか?
そもそも自分に存在価値なんてあるのか?
人生を自分の思い通りにうまくいかせるにはどうしたらいいのか?
この答えは簡単だ。すでに思い通りになっているのだ。自分でも気づかない意識の通りに実はすでになっているからだ。ただそれに気づいていなかっただけのこと。
過去の延長線上に今があり、今の延長線上に未来があるわけじゃない。
しかし私たちは過去の体験をベースに今を創造し、今の体験をベースに未来を創造する。だから何も変わらない。行動が変わらないから変わりようがないのに、ぐるぐるとハムスターのようにどこにもたどり着かない歯車を回し続ける。
過去をベースに今を生きるのをやめて、未来こうなったらいいなをベースにして今を生きるように脳を騙していかないといけない。だから脳が騙されるまで根気強く続けないといけないのだ。筋トレと同じように脳トレしないとダメなのだ。
自分のやるべきことや人や社会に貢献できることっていったい何なのか?
そんなこと考えるよりも、自分の好きなことをやり続けるだけしかない。
こういうこと好きなんだよね、これやってると楽しいんだよね、と人にも伝え続けるしかない。
楽しいことが、やっていて無理なくできることが才能だし、強みなのだ。
自分にとって当たり前すぎてその才能がわからないということもある。
だから人に言われた言葉を大事にしてしっかりと受け取って自分で認める。
それじゃお金にならないとか生きていけないとか考えないこと。
本当に人に伝わるのは才能や技術じゃない。それをやっているエネルギーそのもの(情熱、パッション)が人に伝わるのだ。人はそれに心揺さぶられるのであり才能や技術はそのあとの問題だとわたしは思っている。その自分の熱を伝える手段は今はいくらでもある。表現し続けるしかない。ただ淡々と明るく楽しく軽快に。
そもそも自分に存在価値なんてあるのか?
これはずっとずっとわたしの課題のひとつだった。きっと子どもの頃に存在価値に傷つけられるようなことがあったから、自分には価値がないと思っていた。
何も特筆すべきものを持っていないから、人に称賛されないから、お金にならないから……なんだかんだと理由を並べて自分には価値がないことを自分で強めていた。
でも、ふと思った。
宇宙的視点で見たら、存在していることそのものが価値である、と。
宇宙に偶然とかたまたまとかバグとかは存在しない。それこそ完璧なのだ。
だとしたら本当に価値がない人を地球上に存在させていることなんて到底ありえないからだ。それは地球上に存在するすべてのものに言えることだ。
価値がないと思っている自分の意識があるだけで、価値がないということを体験しているというだけのことだ。
結局本当にどうしたってこの世の中は自分自身の投影であり、幻想であり、自分は世の中に世界観や意識を映し出すプロジェクターなのだ。
あなたはあなたであり、わたしはわたしであり、同じものを見ていても全然違うように物事を見ているのが人間なのだ。他人はあなたの世界の登場人物の鏡の役割の脇役だし、あなたは他人の世界の鏡の役割の脇役なのだ。
つまりは自分の意識がすべて。そして未来は自由に選択できる。
じゃ国の仕組みとか制度とか法律とかは?と聞かれれば、その国に住んでいる人たちの集合意識の表れなんじゃないかなと思っている。国がヤバいなと感じているなら、その国に住む人々が国を良くしようという意識が低く、他人任せということなのかなと思っている。日本という美しい国がなくなるのはイヤだけど、なんとなくその道をたどっているような感じがする。
それはつまりひとりひとりがもっと自分自身をいたわり愛するような意識、自分のことが好きで人の目を気にならずに自分を素直に表現できるようにしていくことではないかなと感じる。優しさや愛が広がっていくといいなぁ。
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