ハワイのカウボーイ「パニオロ」とパーカーランチ。
ハワイ島の中央部やや北寄りに位置するワイメアの街。
ここは「パニオロ」と呼ばれるハワイアン・カウボーイの街でもあります。
パニオロの歴史はハワイ州最大、アメリカ屈指の牧場、160年以上もの歴史を誇る「パーカー牧場」に端を発しています。
パーカー牧場は総面積約700平方キロ、ハワイ島の約9%の土地を占めるほど大きな牧場です。
その大きさは東京23区の1.2倍。23区がすっぽり入ってしまうほど広大な面積です。
1793年、イギリスの船乗りジョージ・バンクーバーがカメハメハ大王に5頭の牛を寄贈したのが始まりです。
カメハメハ大王はすぐさま5匹の牛に触れることはカプであると民衆に伝えました。
牛を早く成長させ、牧場を成功、発展へ導くためのカメハメハが考えたひとつの方策でした。
素晴らしいアイデアのように見えたこの計画は残念ながら裏目に出てしまいます。
野生の牛が暴れ出し、ワイメア地域の住民に多大な迷惑をかけるところまでは想像が及びませんでした。牛は人が住む敷地に入り込んでは暴れ出して家を壊し、ひどいときには人を傷つけ負傷者まで出す状況でした。
これには困り果てたカメハメハ。
そのとき白羽の矢が立ったのが、イギリスからやって来た船乗りジョン・パーマー・パーカーでした。
パーカーは1809年、彼が19歳のときにカメハメハと出会い、かわいがられていた人物でした。
相談を受けたパーカーは牛を捕まえて屠殺し、ハワイ島に往来する船に売ることにしました。とはいえ、牛も必死に逃げますし、環境に慣れてしまった牛を捕まえるのは一苦労でした。
一番優秀だと思う一頭の牛だけは、パーカー自身が育てるために生かしておきました。
パーカーを気に入ったカメハメハ大王は孫娘のキピカネをパーカーの妻として結婚させることにし、広大な土地を譲りました。
土地を譲り受けたパーカーは1847年に牧場を始めることにしました。
彼が育てようとしていた一頭の優秀な牛もこの牧場で育ったようです。
ある日、3人のメキシコ人がワイメア地域の人たちに牧場の運営方法を教えにやって来ました。パニオロの文化が始まったのもこの時です。
パニオロとはカウボーイのこと。彼らの話すスペイン語、”エスパニョール” が当時のハワイの人たちには「パニオロ」と聞こえたことから、カウボーイ=パニオロとなったのです。
馬に乗りながら縄を投げて牛を捕まえるというカウボーイお決まりのスタイルが次第に定着していきました。
広大なパーカーランチの敷地内には、常時3万から3万5千頭の牛がいて、250頭の馬を率いてパニオロが牛の群れを束ねています。
現在でもパニオロは当時と同じスタイルで馬を操り、また定期的にロデオを見せて、地域住民や観光客を沸かせています。
ワイメアの街にあるパーカーランチセンターにはパニオロの歴史がわかる資料館があります。
また牧場ではハワイ島の山々に囲まれながら大自然を堪能する乗馬もできるほか、ワゴンライドや四輪バギーなどのアクティビティも楽しむことができます。
牧場主、パーカー家の大邸宅と美しい庭園に興味があるならルート190沿いにある「パーカーランチヒストリックホームズ」へ行くといいでしょう。
ここでは「マナ・ハレ」と「プウオペル」と呼ばれる2つの邸宅を見ることができ、美しい庭園も広がっていて、パーカー一族の繁栄ぶりと暮らしぶりが伺える場所となっています。