鳳明館周辺の文豪スポット2

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鳳明館周辺の文豪スポット1

湯島方面に寄り道しましたので、再び、本郷通りと春日通りの交差点に戻ります。本郷通りをまっすぐ行くと東大へ。今回は春日通りを矢印の方向に行きます。

交差点

本郷喜之床
石川啄木が、蓋平館(のちほど紹介)から新築間もない理髪店「喜之床」の2階に移り、家族そろっての生活を始めました。明治42年から小石川に移るまでの2年間の住まいで、旧家屋は愛知県犬山市の「明治村」に移築保存されています。現在はアライ理髪店。

御菓子司 喜久月
文人スイーツ、樋口一葉(おぼろ月)・夏目漱石(そうせき)・森鴎外(雁)があります。小さくて見逃しそうになりますが、外観もいかにも和菓子屋さんという佇まいで雰囲気があります。

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文京ふるさと歴史館
たくさんではないですが、文京区ゆかりの文豪たちの情報もあります。
はじめて行ったとき、売店で販売されている刊行物が結構面白くて8冊くらい買いました。文豪関連のものは既に完売しているものもあるようです。

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*坪内逍遥旧居・常磐会跡
坪内逍遥の旧居跡。この地には明治17年から3年間住み、『小説神髄』で文壇に写実主義を主張、『当世書生気質』を執筆。近代文学の礎を築いた地ともいえます。逍遥移転後、『常磐会』という寄宿舎になり、正岡子規や河東碧梧桐が寄宿しました。

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そのまま上の細い道を行くか、階段を下りるかという選択肢になります。
この階段は『炭団坂』で、ここで一旦坂をおりず、上の道を行きます。この先は行けるのかな…?となりますが、行けます。

*金田一京助・春彦の旧居跡
アイヌ語の研究で知られる金田一京助。同郷の後輩で親友の歌人・石川啄木は京助を頼って上京し、精神面や金銭面で多大な援助を受けていました。春彦は京助の長男で日本語研究の第一人者。

*樋口一葉菊坂旧居跡
樋口一葉の旧居跡。この地には、父の死後移り、母と妹を養いながらこの地の貸家で小説家として立つ決意をし、半井桃水の指導を受けながら『闇桜』『たま襷』『別れ霜』『五月雨』などの小説を執筆したそうです。
樋口一葉が使用したとも言われる井戸がまだ残っています。
「案内板がなくわかりづらい」とよく言われますが、この建物には今も住民の方がいます。昔は案内板があったようですが、今は撤去されているようです。案内板だけになっている跡地も多い中で、建物や井戸がそのまま残っている貴重な場所なので、探訪の際は「お邪魔します…(小声)」という気持ちでお願いできればと思います。

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*炭団坂下
さきほどおりなかった炭団坂の下。こちらを通り過ぎて…

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*宮沢賢治旧居跡
坂の先に小さな登る階段があり、その階段の途中に看板があります。
宮沢賢治が本郷に滞在したのはわずか8ヶ月だったようですが、その間に1日300枚の割合で執筆、帰る時にはトランク一杯に原稿が入っていた、書かれています。この階段を登ると良い雰囲気の建物がありますが、こちらは特に旧跡とかではなさそうです。

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*梨木坂
細くゆるやかな坂道。ここをあがると鳳明館本館と台町別館の間の道に出ますので、ここで終了~というのもアリかもしれませんが、文豪スポットはまだまだあります…!左が本館で、右が台町別館です。ここから徒歩5分ほどのところに森川別館があり、その間にも文豪スポットがありますので、それはのちほどご紹介。

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本館

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台町別館

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鳳明館周辺の文豪スポット3に続く!☞

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