【余談】 リスクも多様性!? 「承認欲求」というドーピングからの脱却
今日は他のクリエイターさんの記事を読んで感じたこと・自分の考えについて書くシリーズです。
最近、「リスク」や「備え」に関する記事を書いておりますが、必ずしもネガティヴな事象が起点とは限らないという意味で面白い記事を見つけましたので、早速ご紹介できればと思います。
異なる観点での「リスク」
今回「お題」とするのは下記の記事となります。
Akashiさんがどんな方か存じ上げていないのですが、もしご自身の実体験(=有名人)でないのだとしたら、物凄く想像力が豊かな方だと思った次第です。
少し話は逸れますが…
「もし自分が大谷翔平だったら、人生楽しくて仕方ないだろうな」
と耳にした際に「本当ね!」と共感する自分と「本当にそうなのかな?」と疑う自分がいます。
「コンビニですら気軽に行けないんだよ?」
に対して「コンビニなんて別に行けなくても良いじゃん!」と思うのは“気軽に行ける側“の感覚であって(以前味わうことができていたのであれば尚更)世間の感覚を味わうことができなくなってしまうのは、少なからず辛い部分もあるものと想像しております。
※実際、大谷翔平がどう思っているかはわからないです(笑)
“有名人“という一見華やかでポジティヴに見える事柄であっても「リスク」を考えてみることは重要で、そのためには想像力が大事になってくると理解しております。
承認欲求がいつの間にか他人軸に…
「承認欲求」ってある種のドーピングだと思っております。
ベクトルを「成長」に“向けられる“と、その期間は無限に成長していきます。
“向けられる”と書いたのは、あくまでも他者起因だからで、1度上がった評価を下げたくたい(=期待を裏切りたくない)から頑張ってしまう。
この強迫観念的なモチベーションによって更に成長していき、その好循環が続く間は誰かが作ったシステムで頂点を目指していくこともあるかなと。
しかしドーピングなので「承認」という効果が切れた途端に、一気に「失望」やAkashiさんも仰る「虚無感」がやってきます。
しかもこのドービング期間が長い人ほど、他人軸で生きているという自覚がないまま大人になっていくので、過去の栄光に縋り付く傾向にあるのではないかと考えております。
筆者は(幸か不幸か)若くして成功できなかったので、“過去よりも未来“精神では生きておりますが、以前の記事でも書いた通り「自分軸」の考え方に至るまでには多くの失敗をしてきたと自負をしている次第です。
“足る“を知るとき
ではいつまでも“承認欲求を維持した状態“が良いのか…
と言われれば、それはそれでまた違うもの。
大人でも若いうちは「褒められたい・認められたい」と思うことも大事です。
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