23/01/14 夢野久作完全攻略(11)
ちくま文庫版「夢野久作全集」ラストの第11巻には随筆・評論・伝記の類が集められています。こうしてマラソンの最後に読むと、ある種の答え合わせやカーテンコールとして読むこともでき、非常に興味深いものになります。
所感 ★3.0
「新青年」誌で小説懸賞を受賞したデビュー作「あやかしの鼓」と共に同誌に掲載された受賞の所感。執筆に至った経緯が語られているのが面白い。当時既に童話を出版していたり新聞紙上に連載を持っていたりしたことは書かずにトボけているところなど愛らしいです。
ナンセンス ★2.5
探偵趣味や猟奇趣味に惹かれるのはなぜか。自分の中のルーツを辿りながら主語を広げ、現代人がこれらのフィクションに惹かれる心理の言語化を試みるテキスト。最後まとまらなくて投げただろ!
江戸川乱歩氏に対する私の感想 ★3.5
嘘みたいに前置きが長い。しかしその後に始まる本編は絶品で、特に江戸川乱歩「白昼夢」の素晴らしさを表現する言語など、それ自身がひとつの夢野久作文学と言っても差し支えのないものになっています。また乱歩の各作品に対する注文はかなり具体的で、両者の作品の傾向の違いをかなり正確にプロットするものになっています。また久作による各乱歩作品の評価の高低は現代のミステリ読者が時代を意識せずに乱歩作品を読んだときに与える評価とかなり近いのではないかと思われ、そういう意味でも久作の時代を先取りしたミステリ観を窺うことができます。
涙香・ポー・それから ★3.5
久作の作風のルーツが語られている、短いながらも注目すべき一編です。「アラビヤンナイト式のお伽話的怪奇趣味」にハマって「矢鱈に変テコなお伽話を書いて」いたそうですが、白髪小僧などはまさにその延長だったのでしょう。また入れ子構造への興味は『ドグラ・マグラ』にも生きていて、あの偉大な違法建築の図面に表れていると思います。
挿絵と闘った話 ★3.0
長編「犬神博士」執筆の経緯と、掲載時に挿絵を書いてくれた旧友の絵描き青柳喜兵衛についての短いエッセイです。「闘った」というのは挿絵のクオリティに負けないよう奮戦したという意味ですが、久作の力及ばずであったと本文中で認めています。
路傍の木乃伊 ★3.0
出版される文芸作品が売れ線の焼き直しのようなものばかりになってしまった、という話を色々と膨らませているのですが、久作が書いたことを隠して文体を少し直せばそのまま現代に載せられそうな内容です。いつの時代もみんな同じようなことを言うんですねえ。
書けない探偵小説 ★3.0
「こんな話を書いてみたいな」という探偵小説のネタを何本か書き下したエッセイ。完成品の小説だけ読んでいると「元々の思いつき」と「その後に膨らました部分」の区別が難しいため、元々の思いつきだけ見られるというのは興味深いところです。読んでいると夢野久作は「謎解きシーン」や「謎と解決の対応」にあまりこだわりがない、それどころかこれらを欠いた探偵小説の形式を書きたがっていたのだろうことが窺えます。
面白いのですが、個人的に表現者が「こういうの書きたいなあ!」とアイデアだけをそのまま出してしまうことがあまり好みでないため評点は割引いています。
探偵小説の正体 ★3.0
探偵小説の興味そのものの言語化を試みた文章です。個人的に、
という部分にはかなり共鳴するとともに、夢野久作の小説を読んでいて刺激される部分がかなり言語化されたように感じました。
スランプ ★3.0
スランプになって全然書けなくなっちゃって引き受けてた原稿ができないんです~、という情けないエッセイ。ただここまで読んできた作家のそんな文を読むのもまた楽し。
「道楽半分に書いておりました千枚ばかりの長編」を出版社に送ったあとパッタリ書けなくなったと言っているのですが、時期的にも内容的にもこの長編とは『ドグラ・マグラ』のことと思われます。これまでの夢野久作の諸作品がドグラ・マグラという大木から熟れ落ちた果実、もしくは剪った枝葉であるように見えたことから考えると、その大木がなくなったことで陥ったスランプだったのかもしれません。
探偵小説の真使命 ★4.0
芸術の中における探偵小説の立ち位置の話から入るのですが、そこで始まる"本格"/"変格"の議論が実に面白い。当然、当時の夢野久作は変格として扱われていたわけですが、久作は(当時の定義による)本格の狭い城で水源も絶たれたまま籠城することは探偵小説の使命ではないと喝破します。
以下の指摘は名文でしょう。
夢野久作が書いていた頃は「変格」とされていたような、名探偵が名犯人のトリックをやっつける定型の裏をかく作品は、後に本格というジャンルを大きく繁栄させることになりました。名犯人の存在しない「日常の謎」は、いまや本格の一大ジャンルになりました。
改めて夢野久作の先見性に感服するばかりです。
甲賀三郎氏に答う ★2.5
前述の「探偵小説の真使命」を読んだ甲賀三郎が自身の連載エッセイに付記した「夢野久作君に問う」という文章への反論という形で執筆されたものです。ちくま文庫版では解題の中にその甲賀三郎の文章が引かれているので、そっちを先に読むと良いと思います。
甲賀三郎は夢野久作に対して、あなたの書く変格ものを探偵小説にカテゴライズされることは却ってあなたに不自由な思いをさせているのではないか、ということを言っています。後年のミステリファンである僕個人としては、夢野久作が自身の作品を探偵小説として書いてくれて、ミステリというジャンルを拡げてくれたことに深く感謝しています。
私の好きな読みもの ★3.0
好きな作家としてエドガー・アラン・ポーとモーリス・ルヴェルを挙げ、その魅力を語ります。
創作人物の名前について ★3.5
探偵小説を書くときに登場人物につける名前について書いています。ここまでのエッセイを読むと、夢野久作はあえてちょっと「ハズした」書き方をすることも少なくないのですが、本編に関しては真っ向から自身の創作論を語っているように見え、とても興味深いものになっています。
探偵小説漫想 ★3.0
ミステリ論とまではいかない数行のミステリ観をいくつかまとめたもの。
下記の記述などは大いに頷きました。
近世快人伝 ★3.0
夢野久作の父は旧黒田藩士が中心となって明治期に結成された日本最初の右翼団体・玄洋社の中心人物でした。その縁で同社の大物連と馴染みのあった久作が、傑物たちのエピソードをケレン味たっぷりに語るのが本作です。
また、こうしてマラソンしてきてから読むと「これはあの作品のキャラのモデルかしら」という発見もあったりしてこれまた楽しい。
頭山満
「明治史の裡面に蟠踞する浪人界の巨頭」「維新後の政界の力石」「歴代内閣の総理大臣で、この先生にジロリと睨にらまれて縮み上らなかった者は一人も居ない偉人」と語られる大物です。
ザ・大人物という感じで器の大きなエピソードが次々と出てきます。のみならず、これ以降の章でも更におかわりが出てきます。
杉山茂丸
夢野久作の実父です。久作の書いた「あやかしの鼓」を読んだ茂丸が「夢の久作の書いたごたる小説じゃねー」と言ったことがペンネームの由来になったそうです。
「俺の道楽は政治」と嘯き政界の黒幕と呼ばれた人物です。とにかく情報を仕入れるのも活用するのも手際が巧みで、知った情報にハッタリを利かせて我が物顔で叩きつける腕力など久作に通じるものを感じます。
奈良原到
個人的に一番面白かったのがこのパート。
「極端な清廉潔白と、過激に近い直情径行」「玄洋社の乱暴者の中ではこの奈良原翁ぐらい人を斬った人間は少かったであろう」と冒頭書かれているのですが、まさにその通りで抜き身の刀がそのまま歩いているような人物です。そしてそのエピソードで語られる壮士達の気魄で物を言う姿が凄まじい。
父・茂丸をはじめ玄洋社の壮士達がその身でハッタリを切っていたのに対し、夢野久作は文筆でハッタリを切っていたのでしょう。久作の小説が国内ミステリ史上随一のハッタリで鳴らすルーツが見えた気がしました。
篠崎仁三郎
篠崎仁三郎は魚市場の大株の大将で、久作は「博多っ子の標本」と評しています。本章ではその豪快な生き様が語られます。
エログロナンセンスとよく一塊に言いますが、エロ・グロと比べてナンセンスは経年劣化が激しいのかもしれないと思いました。思い返せば1巻の「豚吉とヒョロ子」にはじまり『ドグラ・マグラ』のキチガイ地獄外道祭文に至るまで、ちょっとキツいなと感じる部分はみんなギャグの要素が上滑りしてしまっていた気がします。
父杉山茂丸を語る ★3.0
「近世快人伝」における杉山茂丸の章とは異なり、息子から見た父としての茂丸を語る章です。「活動家の息子の生活」のドキュメンタリーである点が興味深いところで、とにかく間接的に、垣間見るように茂丸が語られる距離感が絶妙。良いエッセイです。
梅津只圓翁伝 ★3.0
梅津只圓は福岡藩召抱能楽師で、喜多流の名人でした。夢野久作の祖父はこの人の大ファンだったそうで、幼い頃から能を習っていたそうです。29歳のときに喜多流教授にまでなったといいます。
久作は翁の来歴もそこそこに、自身の体験や同門の人々から集めたエピソードを並べて、名人がどうあったかを残そうとしています。この散発的に乱発されるエピソードの数々が、彫刻刀が次第に木像を掘り出していくが如く翁の像を書き出すのが見事です。
謡曲黒白談 ★2.5
謡曲について語ったエッセイ数本。前後の2作品の副読書としてどうぞ。
能とは何か ★3.5
タイトルの通り「能とは何か」を言語化するエッセイなのですが、その中で語られる芸術論とも言うべきものが非常に深く読みごたえのあるものになっています。
能とは何かの言語化も非常に説得力のあるもので、
という説明などこれ自体が非常に美しい。「瓶詰の地獄」は能ですね。
他にも芸術の進化には2種類しかない、数が増えて発展するものと、数が減って発展するもの、能はこの後者であるとする「彫刻のたとえ」の節など非常に面白いです。ここはぜひ読んでもらいたいところ。この「能は減って発展してきた」という芸術観は当エッセイの終盤の軸となります。
また、芸術論に踏み入った部分を読んでいると、夢野久作が「説明することの無粋」を非常に意識していたであろうことが伺えてきます。これは久作のミステリの書き方に非常に大きな影響を与えているのではないでしょうか。情報を伝えるときに"説明する"よりも"表現する"、もっと言うと「観客(読者)に自ずから想起させる」ことを目指す久作の書き方は、ミステリというジャンルにあって非常に独創的な実装となって表れました。ですがこうして思想を抜き出してみると、ミステリを洗練させるための方向性として今なお学ぶべきところの多いものだと感じさせられます。
読後非常に満足感をおぼえるエッセイでした。
鼻の表現 ★2.5
鼻に関するウンチクを並べながら繋ぎ合わせ、膨らませてハッタリにして語る連載。新聞連載だったときは箸休めにちょうどよかったのかもしれませんが、これだけまとめて読むと生煮えな印象の残る文章です。
夢野久作年譜
(夢野久作の作ではないため評点なし)
この手の本に年譜はつきものなんですが、実はほとんど読んだことがなかったりします。確か講談社文庫の『虚無への供物』新装版は下巻の後ろ半分くらいが年譜だったのですが、それに気づかず読んでいたので残りページ数からまだまだ続くと思っていた物語が突然終わってしまいびっくりした覚えがあります。
ですが、夢野久作の年譜はなんとなく読みたくなりました。
このマラソンの中で、夢野久作の作品群がどのような時系列で生み出されていったのか興味が出たんです。新鮮な体験でした。