意識と思考と現実の垣根がなくなるとき
やすみんです。
3月4日から突然インフル疑いの症状で二日間寝込み、順調に回復するかと思いきや、地味に咳や後鼻漏のような症状が長引き2週間ほど強制休養となりました。
15日くらいから書き物をし始めているところです。
仕事をしない時間がせっかくあったので、
仕事をするのではなく、まったく関係ないことを考えることにしました。
最初は、仕事の内容を整理しようと、仕事のことを考えていたのですが、
なんとなく、せっかく休んでいるのだから、ただ楽しいことだけ考えてみよう、と、昨年からずっと妄想していた「いつか住むつもりの平屋の間取りとその詳細」を描きはじめました。
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今住んでいる家は、夫と出会った時にはもう棟上げも済ませてあり着工されていました。
建築途中で一度見せてもらったのですが、図面がないとピンとこないな、と思っていたけどそのまま。
結婚するにあたり、突然新居に入れることになり、あれよあれよという間に一軒家に住めることになったのでした。
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「ラッキー!」といえばそうなのですが、わたしは特に不思議にもラッキーにも思っていませんでした。
自分のお金で建てたものではないので、なんとなく「よそのうち」のような感覚もあり、数年くらいは「我が家」と思えなかったのです。
ただ、完成後、その家の造りや材質を見て、
「ああよかった、こういう家なら住みたい」
と、思ったのでした。
入居して半年もしないうちに乳がんや多発性子宮筋腫が見つかり、休職してほぼ毎日自宅にいることになり、
「家がある安心」
のタイミングを体は待っていたのだろうと思ったものです。
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休職中に10歳頃から実家で育てていたハーブの勉強を始めました。
新居は半分ほど庭になっており、山土だけの殺風景な庭だったので、その緑化に小低木のハーブやグラウンドカバーとなるハーブを植えました。
緑が濃くなってくる頃、リビングから庭を眺めていて、
「子どもの頃、こんなふうに庭があって、ハーブを植えて、ゆったりそれを眺められるような家に住みたいと思っていたのかもしれない」
と、思ったのです。
「かもしれない」というのは。
子どもの時分、なんとなく思い描いていた家。
特に強く「こういう家に住みたい」と思っていたわけではなく、
今思うに、脳のどこかが体の外のどこかにつながっていて、
そこに置いてあったイメージを拾っていたのかもしれない。
それを「住みたいと思っていた」と言えるものなのかどうかはわからないのです。
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2013だか2014年だか、その頃、友人とお茶をしながら、ふと思いついたことを話していました。
「図書館みたいなのを夢に見るから作ろうと思って」
「名前は宇宙図書館っていうのをなんとなく思ったからそうしようかな」
はっきりと記憶に残るほどの夢ではなかったけれど、
その時も、脳のどこかが体の外のどこかにつながっていて、
特に何かに書き起こしたり、強くイメージしていたわけではないのですが、
なんとなく、そんなことを「なんとなく、そう思いついた感じ!」と話していたのです。
それを言葉にしてはじめて意識して、
友人も「めっちゃいい!」と大喜びしてくれて。
そこから「いつか作るんだな」と思ってはいたものの、
なかなか動かず。
ドリームマップ的なものに「宇宙図書館を作る」と度々書いていたりも。
でも、なかなか動き出すこともなく。
しかし個人年サイクル7の年にあれよあれよと動き出し、
その冬に着工し、
8の年のはじまりとともにオープンしたのです。
というのも、理想の物件と出会えたから。
元農業倉庫(当時は車庫として利用)。
大きな山の麓。
水脈豊富な土地。近くで湧水が汲める土地。
夜には星空が降るように美しい土地。
自由に、好きにしていいよ、と言ってくれる大家さん。
突き動かされるように作業と工事が進んだ半年間。
いざ、名前を公表する時に、ふと思い立って、「宇宙図書艦」と「館」を「艦」にしたのも、脳のどこかが体の外につながっていることをあらためて実感したのでした。
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「夢を叶える」という言葉があるけれど、
わたしは「夢」というのがよくわからなくて、
でも今は、「やりたいこと」なのかな、と思っている。
わたしの「やりたいこと」はあるのだけど、
我ながら抽象的というか、
望洋としているというか、
「現実化、物質化するルート」
が、よくわからないという悩みを抱えていた。
それが、冒頭に書いた「住みたい平屋を描く」をやっていると、
「あ、わたしのは、これかも」
と、思ったのでした。
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とつぜん数秘の話になるけれど、
わたしは、6、11、3、7、9、1、8でできている。
12個あるうち、11が2つ、7が2つ、9が4つあるので、これで12個。
「家そのもの」とか「受け取るもの、受け継ぐもの」「精神と物質の豊かさ」が8
「家庭的」なもの「植物」「猫」「家族を守り育むもの」「快適性や居心地のよさ」「おもてなしの場所」が6
「自分の世界」「材質」「技術」「正確性」「仕組み」が7
「楽しい」「楽」「面白い」「無邪気に創造する」が3
「思いつき」「アイデア」「実行実現力」「推進力」が1
「建築」「立体的空間的デザイン」「インスピレーション」が11
「みんなのニーズを満たす」「自分のニーズを満たす」「本・叡智」「距離感」が9
と、自分の数秘とそれらがもたらす「意識」「思考」「現実」の融合の姿、あるいはそれを象徴するものが、わたしにとっては「家・建物」なのかもしれない。
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「やりたいこと」は、やらなければ「夢」なんだと思う。
やれば「やりたいことをしている」ということで「夢」などではない。
もっと未来のことを思い描く「夢」があるとしたら、
おそらくそれは「その時そこにある結果」で、「やりたいこと」をやっていたらそうなるっていうことなのだろうと思う。
ただ、言葉にすると共有できる感じはするのだけど、
その内容とかプロセス、また、実際的な「ものになるまで」「ものにすること」を考えると、「何を考えればいいのか」「どうすればいいのか」「本当にそれはやりたいことなのか」などと、悩みが自然発生するように思う。
わたしの場合、「家・建物」なのかもしれない、と書いたけれど、
それが「夢」とか「やりたいこと」なのか、と言われると、
「いや、やはりこれは象徴なのですよ」
と、なる。
というのは、「家・建物」はわたしの中で、わたし自身のエネルギーを盛り込んで強くイメージできるもの。
エネルギーというのは、目に見えないものであるし、
体感していて言語化はできても、それを誰にでもわかるように伝えることはなかなか難しい。
「この平屋に住むために仕事をがんばる」とか、
「この平屋が人生の集大成」とか、
そういうモチベーションにしたり成果物にするためにあるのではなく、
わたしがこれをイメージすると、
エネルギーが活性する、動き始める、現実化するために生き生きし始める、というもの。
仕掛けなのかもしれない。
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「夢」と「やりたいこと」。
「意識」「思考」「現実」の垣根がなくなるということ。
おそらくなんだけど、
人により、それらがハマる何かがあるんじゃないかしら。
わたしは「脳のどこかが体の外のどこかとつながって」受け取っているけれど、これも人により異なると思う。
そして、その人だけの、仕掛けがあるんだろうと思う。
その仕掛けは、数秘にも隠されているだろうし、
その人にしか思い当たらないなにかがあるんだろう。
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選択の奥に隠されているお話でした。
選択はパラレルワールドとつながっているけれど、
このお話はちょっと違ってデザイン(意図)の話の一部になります。