数のおはなし〜「9」という数
「数のおはなし」シリーズです。
《9という数》
9はとても見えづらい。
9の存在を知らない人も多い。
9はとてもわかりにくい。
9の言うことは理解されにくい。
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9の世界は面妖です。
常に他者がいて、
自分は他者になり、
自分はいなくなることがあるのです。
では自我がなくなるのかというと、
そういうわけでもないのです。
9は姿を消しているだけで、
ずっとそこにいます。
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そんな9ですが、
では9がいなくてもいいのかというとそうではなくて、
9がいないと数の世界は完結しません。
つまり、「次の世界にいくためには9が必須」なのです。
螺旋の運動をするために、9は次の世界につなげます。
9は他者になることで、
あらゆることを調整するのです。
でなければ次の世界にはいけませんからね。
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9はそのためにあらゆることをできるようになります。
すべての情報を精査して、
あらゆる学びを体系的に整理し、
とりこぼしても何の問題もなさそうな雑多な事柄についてまでも、
すべて必要なものとして丁寧にあつかいます。
そうして出来上がっていく9の世界。
巨大な知識の層が折り重なり、
それは叡智となり、
すべてが魔法になるのです。
つまりは、
大きなものを扱うには、
小さなものが必要ということなのです。
9はそのことをよく知っています。
ちいさな石のひとかけらを見て、
その石の秘密を見出すのです。
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9はそうやって次なる世界に叡智をつなげていきます。
わたしたちが何も持たずに成長しなくても良いようにしてくれるのです。
9は膨大な仕事を苦にもせず、満足げにほほえみます。
「やりがい?そんなものはどうでもいい」
「みんなのためになる?そんなことはどうでもいい」
「そう見えているのなら、あなたたちが叡智を扱えるようになったということ」
「それがすべてです。That's all right!」
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9には「」は似合いませんね。
かれらは何にでもなり、自分をとりたてて区別する必要はないのですから。
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9のふしぎなところ。
一桁の数秘で一番最後の数という性質もあってか、
とても興味深く関心をもって9を見ています。
9の培ってきた叡智は、
そのままにしているのはほんとうにもったいないのですが、
1の時代、土の時代は「秘匿」されることも多かったのが、
だいぶ日の目を見るようになっています。
でもなんというか、ほとんどそういったものは、
「商業的に消費される対象」
ともなっており、
とても残念な気持ちにもなります。
秘匿されてきたものが一般大衆化する時、
その「価値」はもう薄れてしまっているのかもしれないな、と思います。
もちろんその知恵や素晴らしさは確かにあるのですが、
消費行動として繰り返し擦られ続けると摩耗してしまい、
もとの姿ではなくまーるく誰にでもここちよいものになってしまうのですね。
でも、そういうのも、理りなんだろうと思います。
今の時代、これからの時代は、
「商業的に磨耗されない扱い方」
が、できるかできないかで、
「叡智」として遺されていくかどうかが決まるのかもしれません。
秘匿とは違うやり方で、
消費され摩耗され削られていかないやり方で、
でも多くの人があつかえるものになっていること。
それはとても難しそうに思えますが、
「9」ならばできる。
そして「9」の仕事である。
そう感じています。
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ちなみに、
「統合の数秘」を発見して、
世界でも初めて見つかったものでは、ということで、
商標も取得しました。
そして、磨耗されず、どうやって、より多くの人にこれを知っていただくと良いだろうか、とずっと脳の外側で考え続けているような日々です。
そして、そんなわたしの統合の数秘は、
すべて9。
4つすべてが9なのです。
重荷ですが自分でも。
とはいえ、しゃーなしですね。
なんとか少しずつでもとりくんでいこうと思います。
あなたの統合の数秘・・・
魂の故郷もよみますよ。