正直者はバカを見るの対極を知る。知ってこれからの生き方に落とし込む。
天網恢恢疎にして漏らさず。街角に増殖した監視カメラとSNS全盛の世の中は、人の目にデジタルネットワークが加わって、その密度を濃くしている。
だから、ではない。自分の明らかな過ちの結末を、無為による成り行きの損得勘定に委ねていいのか。胸に手を当てて事態に向き合った時、恥ずかしい自分に気づいて、目頭から冷や汗が滲み出た。
前置きが過ぎた。場所は早朝のホテル地下駐車場。右は柱が迫り、窮屈だなと思いながら切ったハンドルの手が滑ったところ、左側に異音が聞こえた。車を降りて確認すると隣の車のフェンダーに、カスリ傷とは言えないレベルのダメージ。年式は新しくはないが、その分綺麗に磨き上げられた黒いボディに持ち主の愛着が透けて見えた。そしてナンバープレートは、数百キロの遠方から来ていることを示していた。
自分には次の予定が迫り、時間がない。持ち主を探したり、待ち受けたりすることが当然と知りながら、自分の車をその位置に残したまま車を離れた。逃げ隠れしないが、積極的アクションを起こさない不作為。車に戻るまでの約1時間。気もそぞろで落ち着かない。そして駐車場を出る直前、黒いボディのワイパーに連絡先を書いた大きめのメモを挟んだ。
数時間が過ぎて、連絡が入った。今メモに気づきましたと、誠実そうな声が響く。ひたすら詫びる私に、メモを残してくれてありがとうという言葉と、今後どうしますかとの質問。当然に修理代の責任は負いますと伝えたものの、保険を使うためにも警察を呼びましょうという提案は彼からだった。どうぞそのようにと伝えて、一度電話を切る。
ほっとした。電話をもらえたことで、心底救われた。メモを残して責任を果たしたつもりの自分だったが、もし先方から電話がなかったとしたら自分はどのような感情を引きずることとなったか。
ボディのダメージは、たいした事なかったのか?それともメモに気づかず、怒りに震えているのか?それとも・・・。いただいた電話への感謝と、浅はかな自分への「恥ずかしさ」に涙が止まらなかった。
正直に生きることの尊さを、自分の愚かさと向き合う恥ずかしさと引き換えに体感することができた。
ふと思い出した。高校の数学の先生が試験の最中につぶやいたひと言。「私のことは騙せても、自分自身を騙すことはできませんよ」
だから真っ直ぐ、真っ直ぐ、もっと真っ直ぐ生きよう。恥ずかしい自分のことを、今は受け入れることにした。
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