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漢字ノート其の十八『淅』
淅
セキ
よな(げる)、かしよね
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淅淅(セキセキ)
淅瀝(セキレキ)
空の音にふれる
音を「聴く」のではなく、「触れる」という感覚。音がただ耳で感じるものではなく、肌に、指先に伝わるものとして描かれる。風が揺れ、葉がそよぎ、遠くで鳥が鳴く。そんな微かな気配が、自分の内側に流れ込んできているような瞬間。
日々の中で、私たちは多くの音を無意識に聞き流している。でも、ふとした瞬間にはたと気づくことがある。それは、風が窓を叩く音だったり、雨が静かに降る気配だったりする。
音があることに気づくと、その瞬間、世界との距離が変わる。
音の輪郭を確かめるように、指先でなぞる。
そうすることで、音は自分の一部となり、感覚の中に溶け込んでいく。
織り交ぜる
機微とは、目に見えない些細な変化や、繊細な感情の揺らぎを指す。
人の気持ちや自然の流れの中にある、ごくわずかな動き。それに触れることで、自分の中に何かが宿り、それを纏い、さらには織り交ぜる。
ただ気づくこととは違う。機微に触れたものを、自分の一部として取り込み、さらには自分の感覚と混ぜ合わせること。
人は日々、何かと出会い、心を動かされ、その断片を身に纏いながら生きている。一本の糸に別の糸を織り交ぜるように、経験や感情が少しずつ積み重なっていく。
音もまた、そのひとつ。心が開かれているとき、世界の音はより深く響く。そこには、言葉にできない感情や、形にならない記憶が宿っている。
濁りをもてなす
時間が経てば、鮮やかだった色も少しずつ滲み、やがて濁ることもある。
濁ることもいいと受け入れる視点。
人の記憶や感情も、最初は鮮烈に残っていても、時とともに輪郭がぼやけ、滲み、少しずつ変わっていく。
それは、消えてしまうのではなく、ただ別の形に変わるだけなのかもしれない。
透明さを失うことへの否定ではなく、むしろ変化を受け入れる柔らかさがある。純粋なままでいることだけが価値ではなく、変わりゆくことの中にも美しさがある。
水面に溶け出す
何かを残したくても、すべてはいつか消えていく。
どんなに強く感じた音も、どれだけ心を揺らした風景も、時間とともに記憶の中で薄れていく。でも、それは悲しいことではなく、世界の自然な流れの一部であると受容する。
音が消えることも、色が滲むことも、それらが水面に溶けていくことも、すべては一つの循環の中にある。
世界は絶えず変わり続けていて、ボクたちもその一部。だからこそ、その瞬間に触れ、感じ、味わうことに意味がある。
漢字を通したボクなりの見解
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