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アイデンティティ・クライシス
「Yasiroさんって、DNAの何%が日本人なんですか?」
バイトのシフト中に差し込まれたこの一言に私はどう返したのだろう。たしか調剤薬局で目薬を小分けの袋に詰める作業中だったと思う。手を止めて迷いながらも口は勝手に動いていた。どうなんですかね、なんて言ってその場しのぎの笑顔を貼り付けて場を流そうとしたような気がする。何と返すのが正しかったのか、いまだにわからない。
この出来事からもう数年が経っているはずだが、いまだに鮮明に覚えてて、自分でもよくわからない不快感と怒りが込み上げてくる。
これについて間違いなく言えることがひとつある。私が「純粋な日本人」だったらこんなことは言われなかったであろう。
さて、この件について、2020年に専門家に少し相談してみたことがある。以下はその記録である。
公式サイトより引用させていただく。
【BORDERLESS HOUSE Lab vol.3】「優しい人」が「差別しない」とは限らない!?~社会学から学ぶ差別感情とダイバーシティ
<イベント概要>
9月から12月までの全8回の実施予定!
国際交流シェアハウスを運営するボーダレスハウスが開催する「多文化共生や異文化理解」を深めることのできるオンラインイベント【BORDERLESS HOUSE Lab】をスタートします。
隔週木曜に開催するこのイベントでは、「多文化共生や異文化理解」の現場で活躍する方をゲストでお呼びし、日本における多文化共生社会へのかかわりのヒントにしていただけるオンラインイベントです。
第三回の詳細
第3回目となる今回は、大阪市立大学の都市文化研究センターの研究員で、海外ルーツの人々の情報発信サイトの共同代表であるケイン樹里安氏から、社会学や「ハーフ」と呼ばれる人々の日常的実践の研究をもとに、日本における差別感情や多様性、black lives matterと日本社会の流れについてお話ししていただきます。
講師:大阪市立大学都市文化研究センター研究員 ケイン 樹里安氏
テーマ:差別感情とダイバーシティ
第一部(50分)ゲストトーク
・日本のレイシズム(人種主義)
・そもそも「ハーフ」という呼び方は大丈夫?
・「ハーフ」イメージの変遷と日本社会
・インタビュー調査から見えてきた「ハーフ」の日常
・日常の人種主義と差別感情
・日本人性(japaneseness)とメディア表象
・誰のためのダイバーシティ(多様性)?
・「優しい人」が「差別しない」とは限らない
・新移民時代と社会学的想像力
第二部(30分) 参加者とケイン樹里安さんによるクロストーク
参加者のみなさまからのご質問に、講師のケインさんがお答えしながら差別感情とダイバーシティについて深堀していきます。
Twitterでこのイベントを知った私は大学生なら半額の500円で参加できるということもあり、申し込みのURLをクリックした。「ハーフ」をメインに扱うだなんて、滅多にないイベントだと思った。
来たる2020年10月1日(木)、私は朝からこのイベントが楽しみでしかたなかった。いまから4年前も私は大学生で、仮面浪人をなんとか乗り越えて、新しい大学の一年生となっていた。合理的配慮を利用してオンライン授業を受けていたところだ。ちなみに前の大学では合理的配慮は利用してもいなかった。
22歳の私は、自分の体質があらかじめ分かっていたため、中退した大学の学生相談室のカウンセラーさんに紹介状を書いていただき、新しい大学の学生相談室に繋いでもらったのである。そして、新しく私の担当をしてくださったカウンセラーさんに、合理的配慮について申請することを勧められ、またメンタルクリニックへの通院を開始することとなった。
ということで、一年生、秋学期の木曜日、私は午前中はオンライン授業を受け、午後は前から続けていたバイト先である調剤薬局に出向いていたことだと思う。
門前と言われるクリニック前の薬局は、そのクリニックに合わせてシャッターを下ろす。控え室の電気を消し、鍵を返し、家に着いて母親の作ってくれた晩御飯をかきこみ、自分の部屋のPCの電源を付けた。
zoomで進行する講義は、想像以上に複雑だった。C・ライト・ミルズの「社会学的想像力」も取り上げられていたが、前の大学で社会学を専攻していたくせに一切わからなかった。今でもわからないが、当時の私が残した写真を元に記憶を辿っていくこととする。
・個人の私的な問題を罠(trap)と、歴史的に構築された公的な問題と関連づけながら分析する必要性(ミルズ1959=2017:20)。
・「社会学的生の内容(mantiere)は、純粋に心理学的な要因、すなわち個人意識の状態からは説明されえないこと、このことはまったく明白であるようにわれわれには思われる(デュルケーム、1895=2018)」
なるほど皆目見当もつかない。ただ、思い出したのは「交差性」という言葉である。せっかく手元にスマホという文明の利器があるのだから検索してみると、答えはすぐに出てきた。
ヒューライツ大阪の公式サイトから引用させていただくと、「intersectionality(交差性)とは、人種、エスニシティ、ネイション、ジェンダー、階級、セクシュアリティなど、さまざまな差別の軸が組み合わさり、相互に作用することで独特の抑圧が生じている状況をさす。」とある。
わかりやすく自分に置き換えてみる。とにかく、まず、私はモンゴロイドであるといえよう。黒い目に黒い髪、肌も特別白くもない。エスニシティは民族とのことだが、この時点で私は頭をかしげてしまう。
日本人はけっして単一民族ではないし、たとえ日本の一民族だとしても、私にはもうひとつ民族に属していることになる。なぜなら、私は国際結婚をした両親の元に生まれた「ハーフ」だからだ。
母は中華系マレーシア人、父は日本人。その間に生まれた私は、出生地が日本なので国籍と日本である。日本生まれ日本育ちで間違いないのだが、「私」を解剖すると、中華系(間違っても中国系ではない)、マレーシア、日本と細かく分かれていく。
私は日本人だが、中華系マレーシア人の要素を取り除くことはできないし、したくもない。普通の日本人なら「日本人です」で終わるところを、私は毎回聞かれる度にこう答えている。
「母が中華系マレーシア人なんです。父は日本人で」
はてさて、何回これを口にしてきただろう。
というところで、講義に戻る。
第二部に移ってきたところで、私はキーボードを叩いた。以下が当時のzoomのチャットである。
自分から全員:
個人的な話で申し訳ありません。
母が外国人なのですが、ある時バイト先で「DNA的にはどっちなんですか?」と聞かれました。もちろん悪気はなく、また親しい上司でしたので、話をごまなすことしかできなかったのですが、身近な差別?へはどう対応したら良いと思われますか。
日本では二つよりも一つのルーツをしっかり持っていることが大事に思われているような気がします。
スタッフから全員:
Q.無意識で悪気なく差別されたときに相手を傷つけずにコミュニケーションをとる方法はありますか?
→「僕は大丈夫ですが、他の人にいうのはカッコ悪いと思いますよ」って僕は対応してました。
ツッコミをちゃんと入れていくことは大事かなと思っています。
キャラクターにもよりますが…
マジョリティの問題にしていく必要があるので、そういう場面でちゃんと指摘してあげることは大事。直接言えなくてもSNSで「こういうことがあったんだ」と問いかけてみるとか。直接言えなくても、近くの人に問題提起してみることは大事だと思います。
M H から全員:
”DNA的にはあなたも韓国人かもよ?“
みたいなのはどうでしょう?
(DNAは関係ないという意味で)
自分から全員:
その発想はありませんでした!
興味深いです、ありがとうございます
ゲスト ケイン樹里安さんから全員:
DNAの相対化も、その瞬間は効果的な場面もあるとおもいますー!一方で「DNAがどうってそれ今この場で重要ですー?」って聞き返しちゃうのもいいかもですね。
DNAがどうあれ「いっしょにいる」状態を快適にすることが大切かと思いますのでー!
なるほど、と私は画面の前で頷いた。こんなにも真剣に外国にルーツを持つという、同じような境遇を持つ人たちが自分のことを一緒に考えてくれたことがどうしようもなく嬉しかった。
マジョリティに問題として認識してもらうことが大事なのか。当然、マイノリティだけでは問題は解決できないし、そもそもマジョリティ側から受けている差別なのだ。
このような、私が受けた身近な差別とは、マイクロアグレッションと呼ばれるものだと気づいたのは数年後のことである。
私はいったい何人なのか、私はいったい誰なのか。
色んな人に話を聞いてもらっては考えすぎだ、国籍があるなら日本人だ、と言われてきた。
だけど、私はその答えをずっと探している。私が納得できるような、そんな答えを求めている。