
Day.006 アイデアの基本的な考え方 / 2章「デザインのやり方」
Last updated date : 2025.2.24
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D006-1 いよいよ2章です
前回までで「デザインを学ぶ上で根本的に知っておいて欲しい事柄」のような話はできたかなと思っている(もしかすると、何かが追加されたりする可能性は否めませんが…)ので、今回からはいよいよ具体的な「デザインのやり方」みたいな話に移っていきたいと思います。
D006-2 小野先生と口論になった「矢と的の問題」
「はじめに」でもチラっとお話しましたが、私と小野先生はよく口論をします。ただ、真っ向対立するというわけではなく、どちらかというと「大筋賛成なんだけど、細かいところが気になる」といった感じで、そこを議論しているうちに、いつしか口論のようになっているというのが実際です。まぁ、小野先生がどういう認識なのか?については、当人に聞いてみないと分からないのですが、私としてはそのような認識でいます。さて、今日はそんな小野先生と口論になったひとつのネタをご紹介したいと思います。それがこの写真です。

by 小野健太
この写真は何か?というと、東京大学のi・schoolで行われたワークショップ中の写真で、台湾にある成功大学創意產業設計研究所のYang Chia-Han先生が「これがデザインです」と説明した際のイラストだそうです。詳しくは小野先生が解説していますので、こちらをご覧ください。
で、ここで小野先生が言いたかったことの重要部分を引用してみたいと思います。それがこれです。
現実世界に対して「矢と的を同時に射ったり動かしたりしながら何度も想像と創造を繰り返し、矢と的の納まりが良い位置を探索する」というのがデザイン的クリエイションです。
果たしてこれがいかなる口論へと発展していったのでしょうか?実際のところ、小野先生は相当スッキリしたのか、意気揚々と私にこの話をしてくれました。これを見た私としては
「まぁ、そうではあるんだけど、これって誤解を招きませんかねぇ?」
というのが正直な感想でした。なんというか「どこかモヤモヤが残る感じ」です。とはいえ、先ほど引用として紹介した一文そのものは100%同意なので、今回はこの話について、私なりに文章を書いてみたいと思います。
まず、この写真に対してモヤモヤした理由は、
この写真だと「とりあえず矢を打って、そこに対して『これは当たりなんだ』と言い張ってしまえばよい」といった理解をしてしまう人が出てきませんか?
ということです。「論の骨子がそれとは異なる」というのは重々承知なのですが、私としては「誤解」の方が気になって仕方ないという話です。「え?そうじゃないの?」と思われた方はぜひ、小野先生の記事を読んでみてください。ポイントは「矢(アイデア)と的(課題)の納まりが良い位置を探索する」という点にあり、重要なのは「デザインは課題を確定させず、課題そのものすらアイデアを出しながら探索します」という部分です。
結論としてはこれだけなので、他に言うことはないのですが、これをもう少し詳しく説明する試みをしてみたいと思います。
D006-3 ホリエモンが提案した「ペットバウチャー」
最近、Youtubeをよく観るようになりました。個人的なお気に入りは政権電論TVです。実はこの政権電論TVにはホリエモンこと堀江貴文さん(番組内では「たかポン」と呼ばれています)がよく出演されるということもあってか、最近では堀江さんが出演している動画がオススメとしてよく表示されるようになりました。といった流れで先日、以下の動画を観ました。
この動画では「社会保障関係費をどう抑制するか?」という話題になり、堀江さんは高齢者の医療費負担を減らす案として「ペットバウチャー」を提案していました。どういうことか?というと、
医療費負担を減らすには、皆が健康になってもらうのが一番で、そのためには日頃から運動するようになってもらうのがよい。だけど「運動しなさい」といっても誰もやらない。だったら「犬(ペット)を飼うのを推進すればいい」と。何故なら「犬を飼うと毎日散歩に行かなければならなくなる、つまり、運動する」わけで、さらには今の高齢者は、医療機関に「話をしに行っている」という側面も大きい。裏を返せば、医療費負担が増えている要因のひとつに「高齢者の社会的孤立」もあるのではないか。そう考えると、犬の散歩は「犬トモ」が出来るわけだから、一石二鳥だ。
という話でした。「たしかにそれは一理ある」と思う一方、デザインっぽい発想だなと思いました。
ということで、今回はこの堀江さんの提案をベースに「勝手に堀江さんの脳内を想像してみる」ということにチャレンジしてみたいと思います。無論、堀江さんに聞いたわけではないので、あくまで私の妄想です。
D006-4 ホリエモンの脳内を想像してみる
D006-4-1 アイデアは空から降ってくる!?
ともすると、多くのデザイン初学者がまず最初につまづくポイントは「アイデア発想」です。「アイデアを考えろ」と言われても何から考えていいのか分からないし、どうすればいいのか?も分からない。でも、締め切りはやってくる。と、そんな感じです。なので、例えば今回の堀江さんのような面白いアイデアを目の前に「自分はセンスがないのではないか?」と途方に暮れるというのが、よく起こるパターンと言えます。
さもすると、デザイン初学者の多くはアイデアをポンポンと出せる人たちを見た際に、まるで「天から啓示を受けたかのように、ズバッと一発でアイデアが降ってきている」かのように感じたりします。ですが、その実態はまったく異なっており、アイデアをズバッと言う裏側には「アイデアに"なり切れなかった"無数の残骸」が転がっています。直感的ではありますが、デザインに熟達したとてアイデアの打率そのものについては、さほどの変化を感じません。ですので、つまるところ「アイデアが出る・出ないの差は、残骸も含めたアイデアの総量の差」といっても差し支えないのかなぁと思う次第です。ただ、これは多くの書籍でも述べられている話なので、この話だけであれば「いまさら」感満点かと思います。
ということで、今回は「アイデアを考えている際に脳内で起こっている思考」について書いていきたいと思います。
D006-4-2 お題に素直な初心者、お題を変える熟練者
まず、今回の事例における「課題は何か?」というと「増大する社会保障関係費をどう抑制するか?」です。この場合、普通であれば「支出を減らすために、何の費用をカットするか?」という考えを採ると思います。
そうすると、考え方としては「何の費用がいらないか?」もしくは「何の費用であれば減らしてもダメージが少ないか?」という風になるので、アイデアとしては「費用の詳細を見て、アレヤコレヤと考える」という感じになるかと思います。
これは「デザインはなぜ学びにくいのか?」の段で説明した「問題の種類」で考えてみると、問題がキッチリ定義されているように見えるので、Tame Problemかのように感じます。ですが、この考え方だと「単なる取捨選択」の話になるので、「考えられる範囲」があまり広くないということが、すぐにお分かりになるかと思います。
なので、デザインにおいては、アイデアの可能性を増やすべく、問題そのものの考え方自体を見直します。簡単に言うと「Tame ProblemをWicked Problemに変える」という話です。どういう風に見直すか?というと、
「結果として社会保障関係費が抑制される方法はないか?」
という風に考え始めます。そうすると
どうやったら皆が医療にお金をかけなくなるか?
皆が医療機関に行かなくなるようになればいい。
どうしたら皆が医療機関に行かなくなるのか?
皆が健康になればいい。
どうしたら皆が健康になるのか?
皆が運動するようになればいい。
どうしたら皆が運動するようになるのか?
運動せざるを得ない状況をつくればいい。
こんなような感じで考え方をシフトさせていくことが出来ます。こうすることで課題が「社会保障関係費の抑制」から「皆が運動をせざるを得ない状況を作る」へと変化します。これだけでも課題が「1つから2つへ増加」しているので「各々の課題に対してアイデアを考える」だけで、アイデアが出てくる総量は増えます。
これが小野先生の「矢と的」話における「的を動かす」という感覚です。別の専門用語でいうところの「リフレーミング(Reframing)」もこれと同じです。リフレーミングについては、別の機会に書きたいと思います。
ということで、まずもってデザイン初学者は「目の前に与えられた課題をそのまま受け止める」という特徴があり、一方でデザイン熟練者は「目の前に与えられた課題を可能な限り多様に読み替える」という点に違いが見られます。
見ようによっては「デザインを学ぶと素直に物事を見ようとしなくなるのでは?」という疑問が生じてくると思いますが、実際のところデザイン熟練者には、その傾向がある気がします。というのも、デザイナーとよく会話していると「それって、どう考えるのがいいんでしょうかねぇ?」みたいな「課題を何と考えるか?」という会話がよく行われたりします。ともすれば、どうでもいいこと、例えば「今晩、何を食べるか?」みたいなところにも「晩ごはんのメニューを考えるということは、どういう課題だと認識すればよいか?」みたいな話を持ち込みがちだったりします。普通に考えたら面倒くさいですよね。ただ、この違いはアイデアの総量に雲泥の差を作るので、デザインという点においては、かなり大きな差につながってしまいます。
D006-4-3 アイデアはエピソード記憶の中にある
さて、何となく「的を動かす」という感覚は掴んでいただけたかと思います(掴めていなかったらゴメンナサイ)が、今度はアイデアを考える場面に行ってみたいと思います。残念ながらアイデアというのは「まったくの無から生じる」ことはなく「既にある事物をベースとした何らかの新たな組み合わせ」に過ぎません。これは脳のニューラルネットワーク構造を考えてみても、そのように言えます。脳の構造がもっと解明された暁には、違う理論が登場する可能性もありますが、現段階においてはそのように結論づけられます。
ということで、話は「どのようにして組み合わせを作るのか?」という部分に移ります。これについては代表的な考え方として「オズボーンのチェックリスト」のようなものがあります。これを端的に言うと「半ば強制的に要素を足したり引いたり、代用したり転用したりする」ことで、新たなアイデアを導き出すというものです。ですが、残念ながら人間の脳は、そのような論理構造は持っていないので、「強制的に」という点においてはいいかもしれませんが、実際に「ポンポンとアイデアを出すことに長けている人の考え方」とは乖離しているというのが実際かと思います。
では、アイデアをどんどん出すことが出来る人は、どのような思考をしているのでしょうか?
恐らくは「エピソード記憶を手繰り寄せる」という方法を採っているかと思います。「恐らく」としているのは「科学的根拠が特にない」というのが大きな要因ですが、実際に私がアイデアを考える時を思い出してみても、そのような感じですし、「エピソード記憶を手繰り寄せてアイデアを考えている」という風にして堀江さんの話を聞いてみると「あー、このような流れで思考しているんだろうなぁ」というのが容易に想像できます。なので、個人的にはかなり確度が高いのでは?と考えています。ちなみに「エピソード記憶」というのは、端的に言えば「エピソードとして語れる記憶」になります。ということで「エピソード記憶を手繰り寄せる」という部分を解説していきます。
まず、先ほどの「的を動かす≒課題を読み替える」という行動によって「皆が運動をせざるを得ない状況を作る」という新たな課題が生まれました。ということで、これについてアイデアを考えていきます。そうすると、考え方としては当然にして
「運動といえばどんなモノがあったっけ?」
みたいなことを考え始めると思います。これはこれでよいと思うので、とりあえず思いつく限り「運動と思しきもの」を挙げてみましょう。
サッカー、野球、スキー、スノーボード、サーフィン、ゴルフ、散歩、マラソン、テニス、競歩、荷物運び、ジョギング、筋トレ、ヨガ、ストレッチ、空手、ボクシング、柔道、キャッチボール、ロッククライミング、ボルダリング、登山、スケート、ダンス、草むしり、体操、ウインドウショッピング、カフェ巡り、美術館巡り、重いものを持つ、居酒屋のアルバイト、料理、ギターを弾く、バスケットボール、卓球、バドミントン、ボウリング、ラグビー、水泳、ジム、掃除…
ただ、これを列挙してみて何か感じることはないでしょうか?それは、これを眺めてみても「皆が運動をせざるを得ない状況を作る」に繋がるアイデアをどうやって作ればいいか?が分からないということです。こうした行為もアイデアを作る上で重要ではあるので否定はしませんが、これを延々と続けていてもあまり意味がありません。
では、どうすればいいか?というと、「皆が運動をせざるを得ない」ということなので「皆が運動しているけど、皆がそれを運動と意識していないシーンを思い出す」という行為を行います。シーンなので「過去の記憶を頼りにエピソード記憶を手繰り寄せる」といったイメージです。ということで、私なりにエピソード記憶を手繰り寄せてみたいと思います。
そういえば、さっきゴミ清掃員の方が一生懸命、ゴミ袋を清掃車に載せていた。よくよく考えれば労働も運動だなぁ。
先日、カフェに行った時、犬を散歩させているお年寄りを見かけた。そういえば、犬の散歩も運動だよなぁ。
最近、家で植物を育てているけど、この水やりも運動といえば運動だなぁ。
そういえば、この前、知人がゴルフの話をしていたけど、アレも運動といえば運動だなぁ。
この前、空港に行った時、旅行者が沢山いたなぁ。よくよく考えたら旅行も運動だよね。
そう考えると、家事なんてまさに運動そのものだよね。
先日、保育園の近くを通りかかった時、先生が園児を散歩させていた。これも運動だなぁ。
とまぁ、このような感じです。先ほど「運動と思しきもの」として挙げたような内容も入っていますが、エピソードベースで考えると、より具体的で解像度の高いイメージができるようになってくることが分かります。と、このようにして考えてみると、犬の散歩やゴルフの話が出てきました。そうすると今度は「それを自然と促せばよい」という話になるので、バウチャーというアイデアにつながってきます。
これだけだと「堀江さんが単語ベースで考えたのか、エピソードベースで考えたのか分からないじゃないか」という風に思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが、単語ベースで考えている場合と、エピソードベースで考えている場合では、根本的に異なる部分があります。それは何かというと「話の内容」です。単語ベースで考えている場合、そこに具体的なシーンが存在しないので「これとアレを組み合わせたら…」ぐらいの話しか出てきません。ですが、エピソードベースで考えている場合、具体的なエピソードを語るようになります。例えば、堀江さんの場合であれば
「犬は毎日散歩しなきゃいけないから…」
「犬の散歩は車じゃできませんから。犬の散歩は近所を歩く…」
「犬の散歩をやっていると、色んな世代の人と犬トモになれるんですよ…」
「公園で毎日会うおじいちゃんとかに『わー、かわいい』とかって言って若い女子が話しかけたりするんですよ…」
といった感じです。特に最後に挙げた公園の話は、実際に一度は目撃していないと絶対に語れないエピソードですよね。このことからも、堀江さんが「頭の中で具体的なシーンを思い出しながら語っている」ことが分かります(実際のところは堀江さんに聞かないと分かりませんが…)。
つまり、アイデアを考える際に、最初は連想ゲームのような「単語ベースの連想」でも構わないのですが、そこから「具体的なエピソード記憶へと手繰り寄せる」という作業を行わない限り、解像度が上がらないので、アイデアに繋がりにくいというのがポイントです。これについては「私たちは何をデザインしているのか?」でお話した通り、「デザイン=現象づくり」と理解していれば、必然的にシーンを考えなければならなくなるので、割とすんなり受け入れられる話かと思います。
そう考えると、アイデアを上手に考えられるようになるためには、日頃から「色々とな物事をエピソード記憶として覚えていなければならない」ですし、何も考えずにのうのうと生きていても、何らエピソード記憶は増えないので、日頃から様々なシーンを観察しながら「あー、あんなこともあるんだなぁ、こんなこともあるんだなぁ」と意識して物事を見る必要があります。裏を返せば、このエピソード記憶の量がアイデアの量にほぼ直結するので、まずもっていきなりアイデアを出す量を増やせるということはありません。毎日の積み上げがモノを言います。スポーツで言うところの筋トレとほぼ同じと言えます。
D006-4-4 アイデアを躊躇なく捨てる
さて、堀江さんの話からもうひとつ学べることがあります。それが「アイデアを躊躇なく捨てる」ということです。デザイン学研究の重鎮にナイジェル・クロス(Nigel Cross)さんという方がいます。この方は長らくDesign Studiesという学術誌の編集長をなさっていた方です。この方の著書のひとつに「エンジニアリングデザイン」という本があります。そして、この本の割と冒頭付近に、このような記述があります。
(デザイン)初心者は、特定の解決案の構想に執着しすぎる傾向がある。たいていの場合、課題の探求が進むにつれ、初期の構想では十分でないことが明らかになる。しかし初心者は(ときにはベテランにもあるが)、初期の構想を捨ててより良い案の探求に移ることを嫌がる。そして彼らは不完全な構想を手放さず、理想にはほど遠いが、なんとか使える案ができるまで、わずかな手直しを繰り返して無理やり完成させようとする。しかし、たいていは新しいデザイン構想からやり直す方が、より生産的となるであろう。
学生たちを見ていると、まさにこの症状に見舞われているケースをよく目撃します。アイデアを真っ向正面から捨てられないんですよね。思い返せば自分もそうだったような気がします…。ですが、いま出たアイデアを真っ向正面から躊躇なく捨てられるようにならないと、結果としてそのアイデアに引っ張られてしまうので、考える幅も広がらないですし、ド直球に言ってしまえば時間の無駄です。時間を無駄にしないためにも、躊躇なく捨てるという姿勢が重要になります。
さて、堀江さんの話の中にこの「躊躇なく捨てる」という姿勢を発見できましたか?私は発見することができました。それは「ゴルフ」のくだりです。最初、堀江さんは「ペットとゴルフ」という感じで2つの提案をしていました。ですが、まず第一声のリアクションとして、ゴルフがイマイチだったことと、ペットの話をするうちに「毎日やらなければならない」や「世代間を超えた自然なコミュニケーションが誘発される」といった内容へと話は進展していきます。恐らくですが、この段階において、ゴルフの話は堀江さんの頭の片隅にまだあった気がします。ですが、ペットの話をしながら「この話はゴルフでも同じようなことが言えるのか?」といったシミュレーションを同時に行っていたと思います。そして、それをシミュレーションした結果、「ペットの方が優位だ」という結論が出たのでしょう。ペットの話が盛り上がって以降、ゴルフの話は一切していません。つまり、何の躊躇もなく「ゴルフというアイデアを捨てた」という風に理解できます。実際のところは、堀江さんに聞いてみないと分かりませんが、もしも堀江さんが私と同じような思考をお持ちであれば、恐らくこの推理はあながち間違いではないのかなぁと思います。
まぁ「何の躊躇もなく捨てた」とは言いますが、実際のところは「ペットとゴルフのアイデアを同時に出した時、ペットのアイデアに皆が食いついた」というエピソードとして記憶されているはずなので、これはこれで次なるアイデアの肥やしになっていると思います。
そう考えると、アイデアを考えるのが上手になりたければ
思いついたアイデアを躊躇なく誰かに話してみる
そのアイデアを何の躊躇もなく捨てる
躊躇なく捨てたこと自体をエピソード記憶として溜める
というループをすることが重要なのかなぁと思います。そのように考えると、たしかに堀江さんはよくメディアに出て、様々なアイデアを語ったりしていますので、アイデアを考える能力はものすごく鍛えられているのだと思います。そう考えると、優秀なデザイナーだと言えそうです。
ちなみにこの「アイデアを躊躇なく捨てる」という話も、小野先生の話にも出てきています。小野先生はこの話を「マイクロクリエーション」として表現しています。
D006-5 まとめ
さて、今回も話はあれやこれやと飛んだ気がしますが、ひとまずまとめです。いつも通り、箇条書きで記します。
デザインは、課題を固定させず「矢(アイデア)と的(課題)の納まりが良い位置を探索する」といった感じで、アイデアも課題も動かしながら考えるという特徴がある。
なので、一見すると課題が明確に定義されたTame Problemのような場面においても、課題の読み替えを行うことで、Wicked Problemのように取り扱うことが多い。
アイデアは究極、質より量なので、とにかく多くのアイデアが出せるようにならなければならない。そのためにも「課題の読み替えを行う≒的を動かす」ということが重要になる。
アイデアを考える際にはエピソードベースで考えないと、アイデアの解像度が高まらないので、結果としてアイデアに詰まりやすくなる。
アイデアを考えられる量はエピソード記憶の量に依存する(はず)なので、日頃から物事をエピソード記憶として観察、保持しておかないとアイデアを考える量は増えない。
アイデアを躊躇なく捨てられるようにならないと時間の無駄が増えるだけなので、いち早く捨てられるようになる必要がある。
アイデアを躊躇な誰かに話し、そのリアクションによって躊躇なく捨て、その行為自体をエピソード記憶として保持することによって、アイデアを考える量は自然と増えていく(はず)。
なんというか、分かっちゃいるけど何とやらで、どうにもすぐに上達しないのがデザインの特徴でもあります。ゆえもって、これが分かったところで明日からバリバリにアイデアが出せるようにはならないというのが、もどかしいところでもありますが、それでも続けないことには上達しないので、ひとまず悶々と頑張ってみましょう。
ということで、今回はこれで終わりにします。それではまたお会いしましょう。