勇気に脱帽

久々のnote

特にネタがなかったわけでもないが、久々のnoteである。
ところで、このnote、フォロー1名、フォロワー2名と僅少ではあるのだが、見ている人はそれなりに上るようだ。割と思いつきをイレギュラーに書いているだけだったが、たまに感想をメッセンジャーでいただくことがある。(当然リアルな知り合いばかりだ。)

初クレーム

大抵のメッセージは好意的な内容か、あるある的な感想がほとんどである。一通りお礼を返せば済むようなものが大半だ。
ところが、先日初めてクレーム的なメッセージをいただいた。(もちろんリアルな知り合いである。)具体的にどの記事かは言及を避けるが、過去の経験談的内容に関する当時の想いを書き連ねたものだった。
印象的だったのが「私自身を完璧な人間と勝手に思っていたのではないか?だから裏切られた感を強く持っているのではないか?私自身は決して『いい子』ではない。勝手なレッテルでご自身の尺度で評価しないで欲しかった。」との内容だった。

淡々と反論する

私の回答は至ってシンプルだった。「『いい子』と思ったことなぞ1度もない。いい子だろうが悪い子だろうが、どうでもいいが、結果として複数の人間を巻き込んだ事態になったのは事実、そう至った非常識な言動に触れただけ。」
自分なりの主義主張、正義感、倫理観を持つのはいいのだが、結果として少なからず混乱を生じさせた事実をどう説明できるのか?そこを問い正した。

思わぬ申し出を受ける

その後、メッセージのやり取りはピタリと途絶えた。特段気にも止めなかったが、思わぬメッセージを受け取る。「自分自身もしこりが残った感じがどうしても払しょくできない。直接話をすることはできないか?」
メッセージのやり取りで済む話じゃないかと、やんわり断るも、「温度感等も知っておきたいし、実際、今ぶつかっている課題にも関係している気がする。」との返答に会うことにした。

休日の稽古帰りにお茶をすること3時間、自身主体の尺度と影響範囲の大きさは必ずしも順行でなく逆行となりうることを理解してくれたようだ。思いつめた表情を浮かべる相手に私も当時、面倒くさがってこのプロセスを全て割愛したために、時を経て悩みの種をまいてしまったことを大いに反省した。

「ウェットな関係等望みはしないだろう」の一方的な判断の下に、人間関係を切り捨てる前に、嫌われることを覚悟(本当に縁切りになってしまうことを覚悟)で、当時とことん認識共有しておくべきだと間接的に気づかせてくれた本人の勇気にただ脱帽である。

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