養う女、養われる男日記(11)
てぶくろを買いに
養う女
2022/12/08
新見南吉の「手袋を買いに」という童話がある。
読んだことがある人も多いだろう。
初めて雪を見たとても寒い日、子狐は手袋を買いに人の街へ出ていく。
お母さんは子狐だけで行かせなければいけないけれど、心配だから、子狐の手を片方、人間の手に見えるように変えてやる。
本物のお金を持たせて、人間の手の方だけをお店の窓から出して、手袋を買ってきなさいと言って聞かせる。
人間って本当に怖いものだから。
けれど、お店についた子狐は、うっかり狐の手の方を出してしまう。
*
この間、とても冷えた平日の朝、ほしい物リストに入っていた手袋を買った。
Tの手袋だ。
決して高価でないその防寒具は、もっぱら移動手段として用いている自転車に乗る時に使うのだろう。
Tの物欲は相変わらずなく、必要なものと、アートに関連するものだけで一貫している。
だから、Tの買い物をする時に迷ったことがない。
反対に、自分の買い物をする時は迷ってばかりだ。
買い物の終着点がどちらも明白だからだろう。
Tに買ったものは、確実に有益に使われる。
私が買ったものは処分か忘却の二択に帰着することが多い。
「何に使っているかわからないけどお金がない」と周りの人たちはよく言う。
一人で生きる多くの社会人が、そうなのではないかと思う。
会社から毎月決まって与えられるお金を受け取り、時間と共に気づいた時には消費している。
私も間違いなく、その群れの中にいる。
だから、群れから離れて、お金を使う目的を明確にもって前を走る人がいれば、その人にお金を使った方がお金の価値がきちんと発揮される、と私なんかは思う。
Tにとって、お金は目的ではなく、手段である。
Tは絵で金もうけすることを望んでいない。ただ、アートを続けるためには資金がいるから、そのためにお金を必要としている。
Tを見ていると、強い、ストイック、と言われるのがわかる気がする。
使われるお金が有益になるのは目的が明らかだからで、その目的が定まっているというのは、覚悟が決まっているからだ。
他の選択肢を捨てる覚悟。
本人も生き急いでいるという通り、Tの生き方は切実だ。
わかりやすいのが彼が大学まで推薦で進めるくらい、打ち込んでいたバスケだろう。文字通りずっと練習していた。プロにはなれないとわかり、やりきって辞めてからは、一度もバスケをしていない。趣味でやっても意味がないから、と言う。
Tはとにかく自分を追い込む。
Tが頑張る、と言う時、それは本当に頑張る、のだ。
きっとTの容姿をもってすれば、楽しく生きることなんかもっと簡単だ。
でもそういう生き方を、Tはしない。
孤独が人一倍苦手なはずなのに、孤独に絵を書き続けている。毎日地味なことをしている、と笑いながら。
一方で、排他的には決してならない。クソがつくほど真面目で面白味のない私が同じように打ち込もうとしたら、きっとどんどん眉間にシワが寄って、人を遠ざける方に走る。
でもTは、けっして思いやりとユーモアは忘れない。根本的に人を信じている。
だから、会ったことのなかった私にも住所を教えるし、チャイムを鳴らさず自由に入ってきていい、と言う。
不思議に思うことがあったら、屈託なく正面から尋ねる。愛嬌があって、人の懐にするっと入り込んでしまう。
類まれなバランス感覚で、社会とつながっている、そんな風に見える。
だから、Tが生来強い人間なのか、と言えば、それは本当ではない、と思う。
あくまでも、そうあろうとする人だ。
村上春樹の本の中に、元から強い人なんかいない、という言葉がある。
「だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力すべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」
Tはすでに、24にして多くのことを理解している。だから覚悟を決めている。
他の人よりも先に、この社会には強く生きる人が必要なんだと気がついたから、嘘でも強くあろうとする覚悟だ。
そしてその結果、とてもしなやかな強さを持った人になっている。
*
小銭をのせた狐の手が窓から出て、「手袋くださいな」と言ったのを見た店主は、きっとその小銭は偽物に違いない、と思う。
でも、受け取った小銭が本物だとわかると、きちんと「お客さん」の狐にぴったりの手袋を出してくれたのだった。
子狐は大喜びで、お母さん狐の待つ巣穴へと戻っていく。
*
私は、Tのほしいものそのものを与えることはできない。
でも、Tがほしいものを得るための手段は、もしかしたら与えることができるかもしれない。
お母さん狐みたいな気持ちで、目的を得るために必要だと思う手段をTに与える。
Tはその手段を使って、作品を作り、自分のやり方で、社会を生きていく。
強くあろうとする人がそうあれる手助けが少しでもできたらいい、と思う。
*
無事手袋をもらって帰ってきた子狐は、嬉しそうに「人間ってちっとも怖かないや」と報告する。
ほんとうに人間はいいものかしら。
お母さん狐は、最後につぶやく。
物語を読んできた読者は、きっとお母さん狐の人間への見方が変わるであろうことを予感している。
Tの覚悟や、それが生む作品は、社会や人を少しずつでも変えると思う。
強くあろうとする人がいてくれるかぎり、世界は希望のあるものになるのだと私は信じている。
*
今日、Tから手袋が届いたと連絡があった。
なんだか、いつも以上に安心した。
養われる男
2022/12/07
また仕事を辞めた。
確か前の日記で内定を貰ったと言っていた職場を一回出勤して辞めた。
色んな理由があっただろうけど、どれも恐らく自分が養われてもいない状況だと我慢できるような内容だったと思う。
なるべく、貰ったお金を芸術に使えるように、彼女の負担にならないように始めた仕事もすぐに終わり、その結果が尚更彼女の責任感を煽りそうな気がして少し落ち込んだ。僕は自分のやりたいことには貪欲でお金がかかってしまう。
この結果を彼女に言うと「働かなくて良いでしょ別に。」と当たり前のように言ってくれる。
今の環境がどれだけ恵まれているか改めて再認識できた。その後何度も、自分でもしつこいと思えるぐらい「ありがとうございます。」と伝えた。
多分僕のような社会不適合者を受け入れてくれるような世界は、多くの人が稼ぎを出せないような、芸術だとかエンタメだとか、とにかく受け皿の大きな業界なんだと思う。そこで結果がこの先出せるのかはわからないけど、どの道、自分が少しは真面目にできる環境がそこしかないから人並み以上は頑張ろうと思った。
彼女は僕をちゃんとビジネスとアートを結びつけて考えられている人だと言ってはくれたけど、僕のどこを見てそう言ってくれたのか、僕は今芸術で特に稼ぎも出していない。僕は仕事にならないようなことを仕事だと思ってやるしか選択肢がない。
それを運命だと言われても、そんな聞こえのいい物でもなく、ただの不器用でしかない。
馴染めない世の中に文句なんか何一つないし、いつも僕は世の中に対して諦めるのが早過ぎる。
一生残っている物が同じだと分かっていてもこれまで物凄い量の何かを辞め続けてきた。
いつも辞める感覚を忘れた頃にまたやってみようとだけは思う。
毎回うまくは行かないけど、その愚かな感覚がないと何かが止まってしまうと僕は思う。
どうでもいいクソみたいな一日だった。
養う女と養われる男で雑談するpodcastをやっています。2人の温度感が伝わるとうれしいです。
おひまな時にぜひ。
Tを養うことになった経緯を、ちょっとかために書いている第1回はこちら。