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上映行脚

今後、自作や身近な人の映画を抱え、津々浦々に上映へ行こうと決心した。


プロフィールにもあるように、私はドキュメンタリー映画を撮っている。本当に細々とではあるが、それでもこうして継続して撮れている環境に感謝している。

ドキュメンタリー映画に限らずだが、映画は誰かに観て欲しくて、あるいは届くことを願って作るものだと思う。しかし、いざ本当に誰かに観てもらうのは、思っているより相当難しい。誰にどうやって映画の存在を知らせればいいのか、どこでいつ上映したらいいのか、いくらお代を取っていいのか。
何から何まで分からないことだらけだ。
しかし、多分多くの作家はその問題に直面していると思っていて、名前や噂を聞いて観たいなと思うけれど、観れる機会が全然無い作品も多い。

観客に観てもらえてはじめて映画は完成する、とよく言われるが、私もそうだと思っている。「できた」と編集ソフトから書き出した映像は完成ではなく、まだ道半ばだ。だから誰かに届けたいという気持ちは、作品のためにも最後まで大事にせねばならぬ。

でも、現状はなかなか難しい。

例えばオンラインならば、場所を考えずにPPV上映、あるいはYouTubeで無料上映もできるが、色々理由があって私は今のところオンラインは考えていない。
となれば、第一の上映場所候補は、自然と既に設備がある映画館となる。

自主映画のコストは、監督が良いならば、完パケするまでは大赤字でも何年かかってもOKだが、それが映画館での上映となると、話は変わる。
いくら監督が手弁当で構わなかったとしても、売り込みや宣伝をする配給会社、あるいは実際に上映する映画館は、映画で稼がねばならないからだ。

毎年相当な数の映画が映画祭に応募され、上映されているが、その中でも劇場公開(映画館での公開)までこぎ着ける作品は本当に少ない。

劇場上映に至らない理由は個々で色々要因があるのだろうけれど、一生懸命に撮ったものが人の元に届かずに、その使命を終えてしまうのは、やはり寂しいなと私は思っている。

そして、自分の話をすると、今のところ私の撮った映画も、映画祭などの単発を除けば、劇場公開されたことはない。
売り込みやお願いをすると、大半の劇場や配給会社は打ち合わせの時間を割いて下さり、また丁寧に映画を観て下さる。だから、難しいという旨のお返事をもらうたび、残念だと思いつつも、なんだか申し訳ない気持ちになる。

配給や上映のプロの目で幾度か観てもらい、今手持ちの作品は、どうも劇場での興行に適していないらしいということは私も理解した。
しかし、多くの人に観てほしいという気持ちは変わらない。

手前味噌ではあるが、映画祭や上映会では「観てよかった」という声を頂くことも多い。上映後に議論が起きたことも何度かある。映画そのものに意味がないとは、やはり思えないのだ。
ただ、劇場公開ができないとなると、現実的には、映画を多くの人に届ける方法はほとんど無くなってしまう。

その一方、例えばこうした取り組みもある。
相馬あかり監督が主催している「映画の細胞」は、一人の監督が一人の観客のためだけに映画を作る。

表紙をめくった扉のところに「この本を~に捧ぐ」と献辞が書かれている本は多くある。映画でも時々そういう例を見ないことはないが、それでも、献辞がある本も結局は大衆に向けて出版されているし、映画も不特定多数に向けて上映されている。
だけれども、完全に1対1で作るという例は、親しい者に向けて撮るものを除けば、私は聞いたことがない。
COVID19がなお蔓延している世界で出てきたこのスタイルは、素晴らしい取り組みだと思った。

しかし、こうした「映画の細胞」の示唆に刺激を受ける一方で、広く多くの人々に向けて自分の作った映画を届けたいという思いもまた、私に変わらずずっとある。
そして、映画を観た人から頂いたお金で、また次の映画を作っていくというサイクルもまた理想としてある。

自作『辺野古抄』の劇場公開を模索している時期、小川プロでプロデューサーをされていた伏屋博雄さんとお話する機会があった。伏屋さんは『辺野古抄』を出品した東京ドキュメンタリー映画祭の審査員で、映画祭で初めてお会いしてから、「劇場公開を目指す道もあるはず」とメールを頂いており、そんな中で一度いらっしゃいと誘ってもらったのであった。

会いに行った晩に飲んだ折、伏屋さんから小川プロの話を沢山伺った。三里塚からフィルムが上がって編集が終わるとすぐ、完成した映画のフィルムは全国津々浦々を回って、各地で上映会が行われる。事務所では人やフィルムが次々出たり入ったり、それはそれは忙しい日々だった、と伏屋さんはお話してくれた。

残念ながら『辺野古抄』の劇場興行は、伏屋さんの後押しや色々なご縁はあったものの、実現しなかった。
これはさる筋から聞いた話だが、映画にも期限があり、劇場公開は完成後だいたい1年以内、というのが一つの目安らしい。『辺野古抄』は2018年公開であるから、今年で7年目になる。

今からでも劇場公開の声をかけてくださる劇場さんがもしもあれば私は喜んで伺うけれど、現実はどうも甘くなさそうだ。


一昨年、北海道の美瑛で『人々の大地』というドキュメンタリー映画を撮って、昨年6月に美瑛で試写会をした。美瑛にはいま、映画館がない。今回の試写は町民センターなどの交流施設をお借りして行っていた。

その試写の折、「アレッポ石鹸の映画を撮った方ですか?あの映画観たかったのですが、機会を逃してしまって…」と、声をかけてくださった方がいた。また別の日にも「辺野古の映画撮ってたんだよね?あれ、観たかったんだよな」と話しかけてくださる方がいた。北海道での上映はどちらの作品もできていないし、正直なところ、色々と諦めている中であった。

思いがけないお声がけを頂き、私は目の覚める思いだった。

映画を観たいと直接言ってくれる人に会え、とても嬉しかった。そしてそれと同時に、やはりこれはどうしても映画を届けなければならぬ、それもなるべく多くの地域の人に届けねば、と思った。


フィルムを抱えて津々浦々を回った先輩たちのように、私も映画とともに各地を上映行脚して回るべきではないか。


頭の中には小川プロの伏屋さんの話や、佐藤真監督の『無辜なる海』の自主上映旅の話が去来した。
各地の集会所や公民館、あるいはスクリーンとなりそうな壁を訪ね、なるべく多くの場所でなるべく多く上映をするのだ。


そんな思いを周囲に話してみると、自分で撮った作品を持っている友人たちからも賛同の声は多かった。資金や入場料、上映場所、プログラム、時期、上映方法などなど、未確定事項は山積しているし、どこでやるかもノープランだが、まずは「よし、やるぞ」と上映行脚をして回ることを決めた。

「映画の細胞」の相馬監督と先日やり取りしていた折に、私はちらっとそんな話をしたのだった。相馬さんは何を思ったか、「4日後に静岡に行くのだけど、よかったらそこで出前上映をしませんか」と、唐突に、それでいてとても魅力的な話を持ち掛けてきた。

(次回に続く)



上映行脚は、これをする人が増えたらきっと会場も増えるはずで、今よりももっとやり易くなると思っている。
そもそも、少し前までは盛んにおこなわれていた方式であり、きめ細かく届けられる魅力的なスタイルだと私は思うのだ。

もちろん劇場が映画にとって特別な場所なのは変わらない。私も今後も変わらず劇場や配給会社への営業は続けるけれど、でも、それがダメだったとしても、まだ作品を誰かに届けられる回路は残っているべきで、もしかすると、この上映行脚はその回路の一つになれるのではないか。

自作を担いであちこち回る人が、増えたらいいなと思う。


また、もし上映に興味があり、うちの方に来てほしいという方は、下記フォームよりお気軽にご相談頂けたら幸いである。