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あと49日

初個展まであと49日。
じわじわと日が近づくにつれ、

"なんの能力もないわたしが、展示なんかして何になる?"

"もっとおもしろい絵が描きたい"

"おもしろい空間づくりしてやろう"

など否定的なことから、より良くしたいという執着、欲、自我が溢れ出ている今日は新月。

こういう感情はいけないものではないが、絵を描くときに極めて窮屈になる。
のびやかにゆるーくしようとすればするほどくるしい。

本棚に目をやると恭平さんの著書
「自分の薬をつくる」が目に入る。
(今週末は大好きな作家の坂口恭平さんの個展を観に熊本へ行く)

ぱらりとめくると、
▼書けないとき、つくれないとき
というページだった。
ちなみにこの本はワークショップで相談事に対する恭平さんなりの処方箋を出すという試みをベースにしている。

みなさん何かに取り掛かっていて、うまくいかない、何も浮かばない、ということがあるじゃないですか?
その時に書きたくないんだ、自分には書けないんだ、とすぐに思ってしまうでしょうが、実は違うんですね。椅子に座って机に向かって、書こうとしている状態、そう体が向いているわけですから、実は何かは書けます。ただそれが、書かなくてはいけないものとは乖離している状態で、書かなくてはいけないものは書けないし、書きたくないんですね。
このまま台本を書かなくちゃいけないと思って、やり続けると、どんどん疲れていきます。どこかには進みたい。エンジンは温まっているんです。

でもその方向には進みたくない。そこで、どの方向でもいいから進ませてあげたらいい。
そうすれば体という乗り物は心地よくなります。

しかしこういうどうにも先に進まない時こそが、一番違うものが生まれているときなんですね。私の言葉で言うところのこれが「別の現実」なんです。実はそれが膨張してある時なんです。

想像力というものは枯渇しません。なぜなら、想像力というものは単にゼロか有を生み出すという人間の行為ではないからです。
想像力とはすなわち「今の現実だけが現実ではないとちゃんと認識する力」なんです。
書けないということは、フィクションにする力が弱まっている、つまり、普段
封じ込められているはずの別の現実が、今の現実に匹敵するようなほど大きくなっていることを示しているんです。
「自分の薬をつくる」坂口恭平

一部省略しながら抜粋。

きっと恭平さんも何度もこの道を通って来たのだろう。

「別の現実」という表現にはら落ちして、いつも以上に考えずイメージして描いた絵は今までとまた違う作風だった。

私の作品は意味を込めて描いてはいないし、絵を描き出した3年前は自己表現と思っていたけれど、最近は表現ではなく、ただただおもしろいかたちや色と出会いたいという気持ちで描いている。
と言いつつ、自我は出てくるがそれもまたわたしであり、過程である。

こころを軽くして、気分よくたのしくやれたらそれでよし。
出てきたものぜんぶオッケー!!
という心持ちで進めていこう。

甥っ子4歳の絵

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野生の女


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