メキシコの魔法っぽい瞬間50【その4】
#16 得意技は自己紹介です
ケレタロに来た。首都メキシコシティから北西にクルマで3時間ほどの、歴史のある街並みが魅力の静かな町だ。
ここは友の実家。しかし肝心の友は「じゃあ、あとでね」と、どこかに行ってしまった。私は誰にも紹介されないまま、初対面の7人と知らないおうちの居間にいる。どうしよう。
などという心配は無用だ。私の職業はライター。初対面には慣れている。得意技は自己紹介で、旅の前にスペイン語版を用意しておいた。まずは「どうもーっ」と芸人も引く勢いで前のめりに口火を切ったあとは台本通りにやる。
「私はフリーのライターで、雑誌やウェブでビジネスとカルチャーの記事を書いています。映画監督や俳優、作家、ミュージシャンなど著名人にインタビューをし、イイ感じにまとめて読者に届けることもあれば、一般人にインタビューをして、仕事のやりがいや家族のこと、好きなこと、あるいは嫌いなことを話してもらうこともあります。いずれにせよ、誰にだって語るべき人生はあり、それを聞けるのは楽しく幸せな仕事です」
1時間後には遠い親戚ぐらいには打ち解けていた。もちろん最初は恥ずかしいけど、恥ずかしさで人はしなない。
#17 アクエドゥクトだよ
友は戻ってこないが、パパの車で出かける。家族同士の流れるようなスペイン語のおしゃべりが軽やかな音楽のように体にしみ込んでいく。ケレタロの車の流れはメキシコシティよりもゆっくりで、大型バスもおおらかに走る。車のライトと沈みかけた太陽の光で大きなバスはきらきら光る。
唐突に大きな橋のような建造物が現れる。あっ、これがあれですか、あの、世界遺産の、えーと世界遺産は(急いでGoogleで検索)、エレンシア・ムンディアル?
「そうだよ。アクエドゥクト(水道橋)だ」
レンガ造りの水道橋は全長1280m、74のアーチがあるそうだ。世界遺産都市であるケレタロの歴史地区のシンボル。坂を上った展望台から、ケレタロの街並みと一緒に水道橋を見渡す。日の暮れたケレタロの街に浮かぶ長い水道橋は美しかった。
写真を撮ってあげると言われて、浮かれてポーズを決める。もう浮かれられるぐらいにリラックスしている私のメンタルがうれしい。
#18 基本を教えて
展望台ではギターを演奏している人がいて、人もゆったり歩いている。日本ではいつも目的地に向かって早足だったけど、今はどこもめざしていない。
広場ではステージでダンスショーをしていて、見ている人たちも踊っている。いいな、私も踊りたい。ダンスが得意だという友の妹に「基本を教えて」と頼んでみる。
おけ。右に一歩、左足を後ろに下げる。次は左に一歩、右を後ろに。これだけ。
こう?
彼女はふふっと笑っている。その昔、エグザイルを踊ってみたら娘が爆笑した。少女時代でも爆笑した。私のダンスは人を笑わせる力がある。旧式のAIにダンスを教えたらきっとこう踊るだろう。
こう?
踊りつづける。みんなふふっと笑っている。
#19 私はワカランよ
タコス屋でみんなでご飯を食べていると、一人の男がラップしながら各テーブルを回り始めた。どうやらその人に向けて即興でライムを練っているようだ。パパを称えたあと私について何か歌っているけれど、スペイン語のラップはまったく分からない。ママが「彼女は少ししか喋らないのよ」と伝えてくれる。せっかくのライムなのにスマンな。
パパがチップを払うと隣のテーブルに移動していった。いろんな商売があるなと思っていると次なる男が店に入ってきた。おもむろに持っているラジカセのスイッチをオン。カラオケを披露し始めた。う、うまい。
歌い終わるとパパはいちばんに拍手をし、他の人もつられたようにみんな拍手する。
「こういうやり方ならお店にいるみんなが楽しめるからいい。さっきのラップはちょっとな、私はワカランよ」
それでもチップをあげるパパはすべてのはたらく人にリスペクトがあるのかもな。
しかし暑い。椅子との接地面にびっしょり汗をかいていて粗相をした子供のようだが、全員がそうだから別にいい。「汗かいた」と笑いながら店の外に出ると、ここんちの弟がジャージを太ももの付け根までまくりあげてホットパンツ風で立っていて、昔のアイドル歌手のようで笑った。彼の足は白くて長くて美しかった。
#20 ぜんぜん大丈夫
家に帰ると友が戻っていて、家のことを教えてくれる。この部屋使って。ベッド用意しておいたよ。シャワーはココ。こっちは壊れてるけどこっちから出るからいつでも好きに使って。ゆっくりして。
私は基本的にいい人間だが、ここまでのもてなしを受ける理由があるだろうか。その価値があるだろうか。いや、私はいい人間だろうか。違う。いい人間になろうとしているだけで、出身はろくでもない沼の底だ。まだいい人間ではない。こんなもてなしを受ける価値などない。
「マリ、煙草すおう」
家の外で煙草に火を着ける。1本あげると「懐かしい。私はメビウス買ってたよ」と言う。友は日本語が達者で、一人称には「私」を使う。あなたの家族、みんな最高に素敵だね。ありがとうね、こんなに親切にしてくれて。
「ぜんぜん! 大丈夫」
日本でもありがとうと言うたびいつもこう返ってきたのを思い出して懐かしい。
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