渋谷ハロウィンの起源
10月31日、例年渋谷はコスプレ野外会場となるが、この起源を知っている人はおそらくほとんどいないだろう。
「ハロウィン 渋谷 起源」などで検索しても、考察したブログは出てくるが、どの記事も的を得ておらず、「いかがでしたかブログ」のように締まらない内容になっている。
渋谷ハロウィンがなぜ発生したか、その起源について独自の見解を記載したい。
渋谷ハロウィンが始まったのはいつ?
結論から言うと2012年から本格的に渋谷の街に仮装した人達が集まりだした。
では2011年はどうだったかと言うと、それなりに仮装した人達はいたが、ニュースで取りざたされるほどの勢いはなかった。
ではなぜ渋谷に仮装した人が集まりだしたかと言うと、六本木のクラブに入れなかった人達が大量に渋谷に流れてきたからである。
実は2010年以前から、六本木ではお化けの仮装をした外国人がロアビルの前を練り歩いていた。
港区には大使館が密集しているため、エリート外国人は六本木という繁華街で夜遊びすることが多い。
ハロウィンは欧米の文化であるため、六本木で外国人が仮装して街を練り歩くのは自然の流れだった。
クラブの治安向上と人の流れ
渋谷、六本木には多数のクラブが存在するが、2000年代のクラブは現在では考えられないほどに治安が悪かった。
特に薬物が盛んで、コカイン、MDMA(タマ)、エリミン(赤玉)など、ハードなものから処方箋で買えるものまで、様々なドラッグがはびこっていた。
さらには喧嘩が日常茶飯事だったため、スクールカーストの外にいるような悪い人達や、ガチの音好きばかりがクラブに集まっていた。
しかし2000年代後半からは治安も良くなっていき、やんちゃでない人達でも足を運びやすいようになった。
エーライフやバニティ(現V2)なんかは特にクラブの大衆化に大きく貢献した箱だと思う。
仮装してクラブに行くという流れができた
六本木においては、早い段階で日本人のクラバーにもハロウィン文化が浸透しており、仮装してクラブに行くことが定番行事となりつつあった。
2010年の段階でも、ハロウィンイベントの六本木のクラブは大混雑しており、相当数のクラバーが気合いを入れて夜遊びに繰り出していたことがうかがえた。
2011年のハロウィンは六本木のクラブのVIPルームで過ごしていたが、当時から仲良くしているエスコートの人が特別に部屋を抑えてくれていて、そうでなければクラブに入ることは困難だった。
VIPですら予約が殺到しているくらいに混雑しているため、当然一般やゲスト入場にも制限がかかる。
その結果として、クラブに入れない「クラブ難民」たちが渋谷に流れていった。
渋谷でもクラブに入れない事態が発生
六本木から渋谷に流れた難民たちは渋谷のクラブに入ろうとするが、六本木のクラブ難民を受け入れるだけのキャパは渋谷のクラブにはなかった。
そしてお酒を片手に渋谷の街を練り歩く仮装集団が自然発生し、渋谷の街全体がハロウィン会場と化した。
これが渋谷ハロウィンの起源だが、今と昔とで決定的に違うのは、以前はクラブに入れないからお酒飲んで街をぶらついているだけなので、始発まで動けない人達が多く、ナンパすればすぐに引っかかったし、即日お持ち帰りも非常にイージーだった。
しかし現在は仮装して渋谷に来ることが目的のため、終電までには多くの人達がはけてしまったり、渋谷区が一斉に酒類の排除をしたり、そもそも週末ではなく10月31日のハロウィン当日が一番人が多く、みんな明日のことを考えて渋谷に集まっている。
渋谷ハロウィンというコンテンツの栄華から衰退
2023年の渋谷ハロウィンでは、渋谷区が明確に来訪を拒否したこともあり、人の集まりは例年に比べて非常に少なかったようだ。
コロナの影響によって人々のイベントに対する意識が低くなったこともあるかも知れない。
自治体が来街を拒否しているということは、渋谷区にとっての経済効果よりも、対策費用の方が高くつくことが予想される。
実際、渋谷ハロウィンで儲かるのはドン・キホーテと飲食店、ラブホテルくらいだろうか。
イノベーター理論で見る先駆者と後進者
マーケティング用語で、「イノベーター理論」というものがある。
これは製品の販売やコンテンツの流行において、人々を五つのタイプにわけた市場分析で、下図のような割合になっている。
渋谷ハロウィンで言えば、クラバーが起源ではあるが、早くからゾンビメイクでクラブに練りだした層がイノベーターやアーリーアダプターと言えるだろう。
その様子を見て、2013年頃から渋谷に練りだした人達がアーリーマジョリティと言ったところだろうか。
それ以降は、本当にただ仮装して街を練り歩くだけのイベントになってしまったため、渋谷区にとって経済効果を出せるような施策がないと、このまま衰退してしまうことが予想される。
クラバー達が作り上げた渋谷ハロウィンという文化を、何とか経済効果につなげて欲しいと思う。