父を訪ねて その1
人生にはドラマなんてそうそう起きない。
ごく普通の一般家庭に生まれ、鍵っ子だったけど寂しくはなく、姉にいじめられながらも末っ子長男として愛され、自分で言うのも何だけど、すくすくと育ってきた。
自己肯定感も人並み以上にあり、根暗だけど、何とかなるかなって感じで生きてきた。
でも占い師に毎度言われることがあった。
「あなたは土壇場で踏ん張りきれない。その原因は…、父親の存在が無いことね」
そう、私は母子家庭で育った。
物心ついたときから、祖母、母、姉、私の女だけの家系で育ったのだ。
理解できるかわからないが、「父親」という存在、定義が全く欠落して20歳になったのだ。なので、父親が恋しいとかの感情はなくて、親に野球観戦に連れてってほしいなとか、おそらく大抵の家庭で経験しそうな「男」体験を欲しはしたものの、それくらいだった。
子供の頃のアルバムにも当然母だけと手を繋いだ写真ばかりだったが、たまに不自然に半分に切り取られたような写真もあった。
人生で困ったのは、社会人になり、転勤先で会社の寮に入ったときだ。入って一週目に、挨拶がないとルームメートの酒乱のおじさんにブチギレられた。そう、おじさんが決定的に苦手だったのだ。
優しい先輩になんとか取り持ってもらって一年を過ごしたが、どう接していいかは分からないままであった。
そして結婚し、なんの因果か二人の男の子の父親になった。
そしてある日、奥さんから映画をみんなで見ようと提案があった。ピクサーの映画なので、楽しみにして見始めた。「リメンバー・ミー」だ。
見られた方は知っていると思うが、メキシコにはお盆のような習慣があり、「死者の日」に祭壇に写真を飾り、亡くなった先祖を思い出すそうだ。
しかし、そこで写真を飾られないと、本当の死、つまり永遠に忘れ去られることを意味する。それを死んだおじいさんと男の子が阻止するという冒険ファンタジーだ。
見終わったあと、号泣していた。大人になって初めての号泣。
奥さんが、内容を知って、意図的に見せてきたのだ。そう、リアルリメンバー・ミーを生きてきた私に見せたかったのだ。
まんまとハマった。
でもその想いも嬉しかった。
そう、やはりたりない一欠片を探しに行かなければと、思わせてくれた。
そして今年、少し仕事も落ち着いたタイミングで、実の父親に会いに行こうと思っている。
この文章を書いている時点では、まだ所在を掴めていないが、過程も含め、noteに書いていきたいと思う。
同じ境遇の人にとっても、何か参考になれば良いと思う。