人の好意をうまく受け取るのが私には難しすぎる

なんかもう朝から涙が止まらない。私が普通に涙目で出社してきて、会議中もずるずる言っているので、もしかしたら身内に不幸があったとか、長く付き合っている彼氏と別れたとか、思われているかもしれないが、理由は他でもない。

もらった財布の柄が気に入らなかったのである。

今朝、母が訪ねてきた。私は一人暮らしだが、都内で習い事をしている母が時々やってくる。

「気に入るかちょっとわからないんだけど、」と言って、母が机の上に箱を置いた。その時点で嫌な予感がした。多分中身は財布である。箱が大きい。多分長財布だ。
私は昔ガールズバーでバイトをしていた時に、ひどく酔っ払ってよくわからんおっさんに絡まれ、カバンからはみ出ていた長財布をすられてから、長財布はトラウマなので持たない主義だ。でも長財布である。

「この前買えなかったから」と母は言う。2週間前、父母と3人でタイに旅行した。父は昭和の頑固親父で、気に入らないことがあるとテコでも動かない。そんな父はなぜだかパクチーが大嫌いだったらしく、タイでレストランに入った途端とてつもなく機嫌が悪くなった。しかも観光も嫌いで「寺なんぞ気分が悪い」という。じゃあなんでタイに来たんだよ。
それはまあ置いておいて、父の機嫌が悪くなり、かといって勝手に母と外出するとそれは不機嫌になるので、その旅行中は基本ホテルにいる羽目になった。「この前」というのはそのことだ。
私はその時、「財布買いたいな、もう古いし」と言っていたのだけど、買い物にも出られなかったので、母としてはその埋め合わせ的な感覚だったのだろう。

包みを開ける。ヴィヴィアンだ。でも多分、私をスーパー派手好きギャルと勘違いしている母は、オーソドックスな柄は贈ってこない。やっぱり、中に入っていたのは迷彩だかなんだかよくわからん柄が、赤、青、黄色の原色でバキバキに描かれた長財布だったのである。

なんとも言えない反応をした私に母が言う。「あ、やっぱりダメかー。黒と迷ったんだよね。無難そうだし」

そうだね、黒のほうがよかったな。私、財布は壊れるまで使うから、飽きない柄を選ぶ主義だ。ていうか、次の財布はケンゾーで買うって決めてた。だから、気を使ってくれなくてよかったのに。

「いいよ、持って帰るから、自分で買いな」特に何も言えなくなっている私を見て、母は包みをしまった。

「持って帰ってどうするの?」「従姉妹のなんとかちゃんとか、使うかもしれないし」いや、こんな派手な財布、栃木の片田舎で主婦をしている従姉妹のなんとかちゃんは絶対使わないだろう。私は母と別れた。もう悲しくて仕方なくなって、ずっと泣いていて、今に至る。

母はいわゆる教育ママだった。今でこそギャルみたいな見た目になった私だが、進学校に入れるべくして親から(比較的厳しめの)教育を受けた。
うちは殴るしつけの家だった。母との間の確執は割と大きかった。遊びは極力制限されていて、ゲームとか、服とか、そういう娯楽的なものは買ってもらったことはほぼなかった。

私が大学受験で第一志望の学校に受からず、家を出て一人暮らしを始めたあたりで母も諦めがついたのだと思う。私を教育することに、諦めを「つけた」のかもしれない。
会ってギスギスすることも少なくなり、大学を卒業するころには、二人で旅行に行くようにもなった。

そのあたりから母の態度は「尽くす」モードに切り替わっていった。物を買ってくれるようになったのもその頃からだ。

いや、もちろんそれまでも尽くされていたのだ、全力で育てて、教育、めっちゃしてもらったし。
でも、その「教育」っていう明確な形のあるフェーズが終わって、もうちょっと漠然とした感じの「尽くす」モードである。どちらかというと親友とか恋人同士の「尽くす」モードだろうか。これが本来の親子的な「尽くす」モードなのだろうか。私が学生だった頃の母との間柄は完全に「バトル」のモードだったから、なんだかよくわからない。

ただ、そうなってから、私は母の好意をうまく受け取れないことが多くなってきた。例えば今回の財布だって、彼氏や友達からもらったのなら、喜んで受け取ったに違いないのだ。なんでこんなに気が使えないんだろう。親の好意にちゃんと応えることが親孝行だってわかってるのに。

母の全力の教育に、私が感謝するのには20年かかった。これから私が感謝できるのにも、それだけかかるんだろうか、と思うと本当にまずい。母ももうすぐ60歳だ。私はちゃんと、親孝行できるんだろうか。

私は母に「私のこと全部わかってよ」感があるのかもしれない。逆に「わかった気にならないでよ」なのかもしれない。急にわかりやすく尽くしてもらっているから、拒絶反応が出ているのかもしれない。

みんなどうしているんだろう、こういうの。とりあえず、私は母の前で、今めちゃめちゃ子供だ。



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