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アトピーがこの世の中のからくりに気づくきっかけに

私は乳児の時からアトピーで、幼稚園、小学生の時が一番ひどく、今から思うと暗い檻の中であがいていたような子供時代でした。でもアトピー以外はある意味幸せに順調に過ごしていましたが、体育の時は半袖、ブルマを着ると膝と腕の中の酷いアトピーが見えてしまうのが恥ずかしく、前日の夜は「今晩は搔かないぞ!」と誓っても、朝起きたら血だらけでリンパ液でぐじゅぐじゅになっている腕や自分の顔を見て自己嫌悪に陥る毎日でした。

優しいお母さんは、私達がアトピーを克服できるように食事療法を勉強して、マクロビのような食事で私達は育ちました。朝は、生の小松菜と生玉ねぎのサラダ、おやつも干しいも、きゅうりに味噌など甘いお菓子は一切出なく、誕生日とクリスマスの時だけケーキを食べていました。学校の給食でも牛乳は飲めないとお手紙を書き、お母さんは一生懸命本を読んで、自然医学の先生の血を綺麗にするというのを頭において必死で頑張ってくれていました。

ただ今から思うと、その当時は有機の小松菜ではなく、農薬たっぷりの(日本は世界1,2位を争う農薬大国)小松菜、ドレッシングの油も植物油(化学的に抽出された物が多い)、バターが悪物の時代だったので今ではトランス脂肪酸で有名なマーガリンを結構なめ、肉は食べない、玄米菜食+魚だったのですが、母が買っていたお米屋さんからは有機の玄米は存在しないと言われていたので農薬ばっちりとっていたのがいくら一生懸命やっていても弊害はあったのかなと今から思うとあります。その時代は今よりもっと有機やオーガニックに関しては疎い時代だったと思います。それは意図的に策略的に日本が農薬を沢山使用するよう戦後仕向けている結果ではあるんですがね。

それでもその当時から醤油、塩、味噌も自然の物、人工的な物は一切入っていない調味料で毎食頑張ってお母さんはご飯を作ってくれていました。洗剤や石鹸も自然食品のお店で買うものなどでした。お母さんありがとう!

そんなに頑張っていても治らなかったアトピー、小さいころから小学生の終わるまではステロイドを使いながら、使うと爆発して気が狂うように痒いのを繰り替えし、何だかんだ言って10年以上はステロイドを使ったり、使わなかったりなどを繰り返すことによって、塗っていた箇所は薄い皮膚、変色してしまい、弱い皮膚になってしまいました。使い過ぎで焼けてしまったような感じです。これらの経験から薬は逆に害になりえるというのを重症アトピー患者として自ら経験しました。

その後、カナダへ引っ越してからも、寒かったり環境が全く違うのと色々なストレスで何度もアトピーが爆発してしまい、何故私は治らないんだろう?というトラウマになっていました。

夫のウォーレンが鍼灸・漢方のクリニックをやっていた時ににきびの患者さんを完治できたことに驚きがあったのと、その後ウォーレンは色々なサプリメントを他の会社の依頼で開発し、患者さんからの喜びの声を聞くたびに、ある意味代替え療法となっている医療の方が断然効果はあるというのを認識していきました。

私のアトピーに塗る市販の薬用クリームが合わないので、ワセリンなど石油成分から出来たものではなく、完全自然成分から出来た薬用クリームをウォーレンが開発することになり、今ではそのクリーム無しでは生活できない程重宝しています。そのクリームを市場に出すに当たって、政府の日本で言う厚生省にあたる機関に認可を取るプロセスでひょんな疑問が出てきたのです。

ワクチンは何故か色々な細かいプロセスを通さず、何か事故があっても製薬会社が責任を取る必要もないという法律があるというのです(1980年代に出来た法律らしいです)。え?それはおかしい。

自社商品を大手の薬局チェーンに卸していたので、業界誌とかが頻繁に送られてくるので目を通すと、これから秋だからXXの薬のキャンペーンを強化して利益をXXだけ上げようとか、患者さんを治すという考えよりもどうやって利益を追求するかというのにフォーカスしてるのです。他にも色々ええ?何それ?というのが色々出てきました。結局はビジネス。。

大手の薬局チェーンに扱ってもらうにも多額のリスティングフィー(1品につき数百万)と言って、棚上げ代みたいなのを取られ、プラス色々な経費が自動的に落とされ、バイヤーをゴルフへ招待権が御社にはあるとか、そして売れ行きが悪いと前もって通知もなく棚卸、返品と返金を求められる。広告費は大手の薬局だと1億ぐらい予算がないと出来ないような業界に、良い商品をみなさんに提供したいという初心な考えの私達が入り込んでしまったのです。その業界での出来事なども今後シェアして行きますね。






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