見出し画像

『日本農本主義』と「大増の大火」に関する考察

桜井武雄氏による『日本農本主義 - その歴史的批判 -』の冒頭を紹介します。

序言

 ある農民が、田圃のなかほどに立つて、をちこちの自分の持田をひうふうみうようと数へてみた。ところがどういふものか勘定に一つに足らない。こんな筈はないがと、またはじめからひうふうみうーと敷へてみるのだがどうしても一つ足りない。とうとう思ひ締らめて足もとに置いた笠を取り上げると、なんと、その下に一枚の田があつた!
 この話は、いかにも日本農業の一特性を諷し得て妙である。その耕作規模は農家一戸當り平均九段三畝(昭和七年) といふ極度の零細性、その耕地區劃は田畑一平均六畝六歩・農家一月當り平均十五筆(昭和四年)といふ限りなき細分散在性、その耕作にはほとんど分業を行ふ餘地もなく、何ら科學を應用を用する除地もなく、したがつてまた、何ら多方面な発達と、種々なる技術と、豊富なる社會関係とを許さぬところの、ミゼラブルな零細農耕。これはこの國の封建的=半封延的土地所有の歴史の必然的所産なのである。 
 これらはしかし、何ら憂べき事態ではなく、かへつてむしろ誇るべき日本農業の特長と見做すべきだ、と主張する人々がある。この人達によれば、本邦の小農制が家族の勤労を基礎として世界無比の収穫率をあげてゐることは、日本がいかにめぐまれた農本國質を有するかを示すものである(「農本建國論」、だからわれわれは國家のためにも農家のためにも小農制を禮讃すべきである(「農村更生の原理と計晝」、と。また、この人達の論理によれば、「機械や農具に骨を折らせて自分が楽を求むるならば、勤労が生命の百姓道から落第するのは當然である」(「家の光」十一月號)から、農村の更生は、一に勤労、二に節倹で、「要するに農民魂の養成です。現下の非常時農村は幾百の技術家よりも幾干の理論家よりも十人の眞に土に親しむ農民を欲してゐるのです。自ら喜んで鍬をふり肥槽をかつぐ農民を欲してゐるのです」(小平經濟更生部長)といふことになる。

 話はかはるが、先頃、國際観光局が御自慢の映晝「日本の四季」を、蘇聯邦の映晝祭に出席した上山草人氏に託して、同國各地で公開上映したところ、大いに好評を博したが、なかで水田耕作の實況映寫にかかると、観衆が一齊にどつと笑ひ出すといふのである。これは、トラクターやコンバインによる機械化耕作の眼に慣れてゐる同國大衆にとつて、菅笠手甲姿で脛まで水田に汲し、手で泥田をこね廻してる原始的な光景が可笑しかつたのだらうといふので、観光局ではフィルムのこの部分をカットした。ところが、この親光局の措置は國辱の裏書だといきまいたのが、さきにあげたやうなイデオロギーの持主たちである。
 常識ある人々なら、おそらくはこれを、この國のミゼラブルな零細農耕・農民労働力のおそるべき濫費・に對する再思反省の機緣としてうけとるであらうに、今日の小農論者や農本主義者たちは、逆に右のやうな観光局の特置に抗議することをもつて憂國の手段と心得てゐるのである。
 こころある人々から、今日、農本主義批判の期待せらるるゆるんであらう。

この小著を、焦土に立って更生の営みに精進しつつある郷里の隣人達におくる。

昭和十年十二月五日 櫻井武雄

解説

最後の「この小著を、焦土に立って更生の営みに精進しつつある郷里の隣人達におくる。」には、昭和9年(1934年)3月25日(旧暦2月11日)に発生した「大増の大火」に被災した故郷の復興を願う気持ちが表れています。当時の写真を見たところ、大火で桜井氏の邸宅も焼失したと思われます。

茨城県 消防防災年報(令和5年版)の誤り

消防防災年報を見ると、「大増の大火」は「大正9年3月25日」発生と記載されていますが、正しくは「昭和9年3月25日」です。

根拠

  • 八郷町誌 p306

  • 加波山周辺八郷町 p10

  • 大増の大火の写真帳

  • 地元住民への聞き込み調査

茨城県 消防防災年報 p217


いいなと思ったら応援しよう!