自分を愛する
ありのままの自分を受け入れるって凄く難しいと思う。誰しも理想の人物像があって、現実の姿とのギャップを受け入れるのって残酷なように思う。
僕は理想像と今とてもかけ離れてる。そもそも理想の性格と現実の性格が違う。
理想では、社交的で、友達が沢山いて、バイト先でも、学校でも、色んなコミュニティーに所属していて、どこにいても心の底から楽しいと思えて、休日は遊ぶ予定でギッチリ。誰とでも分け隔てなく話せて...そう、絵に書いたような完璧な人間になりたい。と思っている。
現実では、社交的なふり、本当に友達と呼べる人は1人だけ、休日は大抵家でダラダラ、どこにいても周りに合わせて波風立てずに過ごすだけ。同じクラスで仲良くなっても、クラスが離れたら疎遠になって。
理想の人物像とは正反対と言ってもいいような有様で、常に劣等感を抱いてしまう。
でも、そもそも完璧な人間にならないといけないのだろうか?
友達は多いに越したことはないし、実際多い方がいいと思う。人と話すことで楽しい時間を過ごすことはできる。困ったときには助けてもらえる。幸福感を感じることが多いだろう。
実際友達は多い方がいいと個人的に思う。でも、友達がいないことが悪いことでは無いと思う。
普通に22年も生きてきたら友達はたくさんいて、まとまった休みがあればドライブや旅行に行く。
その普通って何?どういう基準?
自分が楽しくて楽な思いをするために周りを落としたり、バカにしたり、利用したり。そういう人と出会うことが多かった。容姿や性格で劣ってるとみなしたときの見下し方は好きになれなかった。その人の興味の無いことが好きな人達をバカにして楽しむ。
いつまでそんな幼いことしてんねん。理解出来なくても、人それぞれなんだからこういうのが好きな人もいるんだなでいいだろ。人の趣味を悪く言うなよ。
逆に自分よりも優れると感じた人に対してはペコペコして相手を立ててばかり。金魚のフンみたいに付きまとって。バカバカしい。
その人達の中の普通じゃないとかわいそうに思われるのはおかしい。生き方は人それぞれだし、そこに関して他人が評価することでは無い。かわいそうって思って気を使ってくれてお互いに気まずい状況になるのが嫌で、普通ぶることが多い。生きずらい。
友達が少ない代わりに、自分の時間が多いから本、映画や社会に対する知識を蓄えることで自分を成長させたい。
相手の感情を気にせず、自分は自分と割り切れるようになりたいけど、それはなかなか難しい。普通でないことの劣等感と気まずさ回避の気遣いからはなかなか抜け出せない。
友達は少ないし、勉強、仕事面で優れているわけでは無い理想の人物像からかけ離れた僕だけど、それでも他人の気持ちを尊重したり、人の役に立つように行動出来る方だからそこは誇っていこう。
自分のことを他人や理想と卑下することなく、現状の自分を愛して生きれるようになりたいな。