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「週末、山の上でボールを追いかける理由―日常からの小さな反抗」

週末の朝早く、京都の伏見城がある山の上に、40人ほどの大人たちが集まってくる。みんな朝からわざわざ山を登ってフットサルをするんだ。サラリーマンもフリーランスも、学生も、普段の肩書きや役割をここでは一旦忘れて、ただボールを追いかけるだけの時間。春には桜、秋には紅葉と四季を感じながら心と体を整えている。まるで動く瞑想のような時間だが、どこか、日常へのささやかな反抗でもある。

平日は何をしているかなんて、誰も気にしないし、知ろうともしていない。週末ここで集まると、社会のルールから少しだけ外れた自由な空間が広がる。フットサルは、ただのスポーツじゃなく、自己表現の場だ。そこでのプレーは、その人の生き方がそのまま出る。プレースタイルを変えることもある。それは、単に戦略の変更だけではなく、怪我や加齢による体の変化に合わせるためのものだ。まるで、生きていくために自分の限界や状況に向き合うように。どんな状況でも、どうプレーするかを考える――それは、人生そのものと重なる瞬間だ。

フットサルでは、頭の中にあるイメージをそのまま形にできる。実生活での昇進や結婚、夢のような大きな出来事はなかなかすぐには実現しないけれど、ここではスーパープレイひとつでその感覚をすぐに味わえる。だからこそ、みんなここに集まる。自分の内側にあるイメージを自由に表現するために。そして、また社会に戻っていく。週末が来たら、再びここに戻って、再確認する。それがこの場所のサイクルだ。

京都人らしい奥ゆかしいコミュニケーションがここにはある。でも、その裏では激しいプレーが繰り広げられる。笑 みんな全力でやっている。

ただ、よそ者の僕からすると、こんな綺麗な紅葉を見て感動を口に出す京都人は見たことがない。彼らは何も言わず、ただ四季を感じ取っている。それが京都人のやり方なんだろう。

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