40円
ある友達のお話。
大学4年生の私たちが仲良くなったのは、大学に入ってすぐの頃。高校も同じだったけど、話したことはなかった。最初の印象は、小柄で可愛くて、とっても優しい子。
今までの友達とタイプが少し違うような気がして、仲良くなれるか不安だったけど、なんだか趣味があって、一緒にいて心地よくて、大切な友達になっていた。
ある日。何人かで遊んだ日。その友達がお金を立て替えてくれていた。精算の時間になったけど、細かいお金がなくて。後日払うことになった。
次の日、学校で。「ねぇ、昨日、本当にごめん。」と。
はて、何のこと?
「560円だったからさ、1000円もらって500円返せばよかった。」
昨日、、、あぁそうか。その子は昨日小銭を800円だけ持っていて、460円は返せないから、じゃあ後日…としたんだった。
家に帰ってからそれに気づいて、「たかが40円になんでこだわったんだろう」って悶々としていたらしい。「本当にバカだった…」と、見るからにヘコんでいた。
あまり自信を持つタイプではなくて、気が強くなく、不安を感じやすい。最近の言葉でいうと、HSP気質とでもいうんだろうか。
私は、私だったら。
一生経験することはないんだと思う。40円で、友達のために、1人寝る前に後悔をする時間は。
すごい、と思った。感動した。
40円を、自分で「たった」とけなすんだったら。それは友達にとっても「たった」のお金でしかないと、思ってしまうと思う。私なら。
たったの40円でケチだと思われるのが嫌だった?違う。そんなんじゃない。すぐに気を利かせて500円を渡して、40円はいいよ、って、いえなかった自分が許せなかったんだと思う。
ここで少し、最近の話。
就職活動で、行きたい、関わりたい、と思った業界に、行けるのに行かなかった。行かないことを選んだ。先の見えない人生が不安で不安で、どうしようもなかった私の心に、一つの光を示してくれたところだった。
たくさん見学に行った。出会う人たちみんなが優しかった。誰もが誇りを持って仕事をしていて、愛にあふれていると思った。就活や将来の不安な気持ちを聞いてくれて、泣き虫な私は、いつも涙をこらえていた。
自分の進路を決めた日。私はそこには行けないけど、せめてそこで出会った人たちみたいに優しい人間になりたい、と思った。まわりの人たちをみんな幸せにしたい、と思った。
この思いを胸に抱いてからというもの、考えるようになった。
優しさってなんだろう。
40円を悔やむ友達のことを、私はとてつもなく優しい人だと思う。だけど、見方によっては神経質すぎる、気にしいだなぁ、と思う人もいるだろう。
優しさは所詮理想で、追い求めれば求めるだけ、自分の卑しさが浮かび上がる。結局自分は、自分のことしか考えていないのだ、と思い知らされる。
もちろん、相手のことを思いやることだけが優しさじゃない。時には厳しく叱ることも優しさだと言われることがある。優しいか優しくないかは、自分がどんなことをどれだけしたかではなく、100%相手が決めることである。
優しさっちゃ、難しいのだ。
それでも私は、優しい人間になりたい。
優しさを求める旅は、始まったばかりだ。