死んでもいいから貧乏やめたい

死なないためにありとあらゆる方法を取ってきた。そしてついに、これを読んでくれた誰かの支えを、サポートを、投げ銭を求めて、私は自らの文字を売ろうと思う。

今月末までに振り込まないと裁判の手続きを始めます。

電話口からのこういう最後通牒は今月二度目で、私はもう、そんな脅しくらいでは心が揺れ動くことなど無い。いくらでも訴えればよいし、信用機関に登録すればいい。私の世帯はすでに債務整理の経験があり、これ以上どう傷つけるというんだろうとすら思う。
確かなのは、何をされたって無い袖は振れないし、信用に傷がついたくらいでは友達は(多分)減らないし、それと同じように、明日空から100万円が振ってきたりもしないということだ。電話口のカード会社の担当者は、私が彼に借りた訳でもないのに、あなたは返せるつもりで使ったんですよね、と私を詰る。当たり前だ。だから自分の返済能力もわかっていないような人間に、カードなんか作らせるんじゃない。私は返すつもりだったし、大学院だって卒業できるつもりで入ったし、ガンなんかにもなるつもりじゃなかったし、花粉症だって一生縁がないはずだったし、うつ病なんか以ての外だ! 誰が好き好んで、毎晩薬を飲んでようやく人間のようなふりをしているものか。ほんとうは頭がどうにかしているのに、薬を飲むとたちまちそれを忘れてしまう。どれもこれも私のせいなんかじゃない。使いすぎたんじゃない、働いても働いても何も手元に残してくれないこの社会のせいだ。運が悪く、社会が悪く、これは人ではなく人の作りしシステムの欠陥である。そうして私の心身は、今にも醜く引き潰されそうなのだ。

貧乏から一刻も早く抜け出したい。父親がいなくなってから10年、もう本当に、本当に、こんな生活にはうんざりしている。疲れ切っている。もううんざり、と腹の底から叫び出してしまいたい。もうこれ以上、一分たりとも自分のためだけに働くことなんかしたくない。一秒も長く自己実現のため生きることなんかしたくない。そのためになんだってしたくて、それなのに結局自分のためだけに働くことがもう、高校以来10年続いているのだ。
父親がいなくなってからの10年間、余裕のある生活ができたことなど一度もない。高校生の頃、土日は校則で禁じられているアルバイトをしていた。ほとんどを家計に入れ、残った部分で必死に友人と同じように遊んでいた。現役時代、受験できたのは大して行きたくもなかった公立前期の一校だけだった。浪人時代も予備校なんてまず通える距離になかったし、本命だった遠方の志望校は私の成績なら問題なく、アルバイトばかりして、各地の大学へと散り散りになって友人のいないストレスを紛らわせるようにアイドルに没頭していた。それでも実家にいたころは、必要なお金などせいぜいといったところで、それにまだ、自我というものが私の中にはなかった。

私は大学に入ってようやく、自らがいかに一般的家庭から離れたものであったかをよくよく知ることになった。学芸員課程のある学科に入ったものの、私は教養のひとかけらもない、あまりに幼い存在だった。絵画といえばゴッホ、くらいのもので、人が芸術というものを如何様にして今日の世界に至らしむるものなのかなどということについてはまったくの無学であったし、そればかりか、そもそも美術史というものが学問として成り立っていることすらはっきりとは知らなかったのだ。そんなわけで、二十歳を過ぎてからようやく自我を獲得した私は、堰を切ったようにあらゆる芸術作品を、それこそ浴びるように見ていくほかなかった。学費も家賃も食費も水道光熱通信費も、そして友人と同じように遊ぶためのお金に加え、私にはスタートラインに立つための時間とお金が必要だった。休みの日などというものは2年に1回くらいで、扶養ギリギリまでせめぎ合って、バイトとインプットに明け暮れた。けれど私にはもうそれしか残された道はないように思われたし、事実それは間違いでもないようだった。作品を見れば見ただけ己の軸は強固になり、意思は更に強く燃え上がっていた。
そう、私にはただ一つ、燃えるような意思だけがあった。しかしながら、そんなものはこの世界を流れるように生きていく上では、最も不要なステイタスだった。岩でもないのに心身を激流の中に留めておくことなど不可能なのだ。目の前に槍が突き立てられでもしない限りは、限りなく強靭なる心身をもつことでしか己を支えきれないのに、あまつさえ私は、そこから更に上流へと進もうとしていたのだ。誰よりも先へ。誰よりも多く。誰よりも優れていなければならなかった。そうすることで、否むしろ、そう「しよう」とすることで、全ての不安や疑問を打ち砕いてきた。この誰よりも、という強迫観念とは随分長い付き合いで、「一番になりたい」とうよりは、「誰にも負けたくない」という思いから沸き起こっているものであると近頃気づいた。一番である、というのは「誰にも負けていない」という事象の結果に過ぎないのだ。

そしてその結果がこれだ。ガン、うつ病、そして花粉症などという忌々しい症状に襲われる中、奨学金とリボだけが膨れ上がって、私は深い深い沼に落ちていく。私はどうしたって、自分のためにしか生きていくことができない。それが厭で厭でたまらない。私という存在が、いつになっても私の外へと抜け出していけないでいる。だから、死んだら全部なくなるというなら、今すぐそうしてリセットしたい。もう疲れた。
私の首を絞める全ての善性など滅んでしまえばいい。けれど、それでも、私はこの世が好きだ。憐れみ、同情、そういう感情がまだ僅かに残されている人間というものが好きだ。人のつくりしありとあらゆるものが好きだ。愛を信じる私の心が、いつもこれを書く私の手を優しく捻る。だから私は、いつか死ぬまでこうして貧しい。

いいなと思ったら応援しよう!

samatsu.
ありがとうございました。いただいたサポートは、次の記事を書くための資金として運用させていただきます。