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ゲージュツに携わりながら、ゲージュツのために死ねない人に対して、なぜあなたはゲージュツのためにしねないの、と聞いてしまいそうになる 命あっての物種とはいうけれど、わたしは、文化芸術の地位がもっと高くなる社会の実現、しか、きょうみがなくて、そうなるために残りの人生すべて捧げるときめていて、というかそれ以外にやりたいことも興味もなくて、それはもちろんわたしがそうしたいからという背景があるのですけど、それとは別に、わたしは「わたしがしあわせになる」ことに向かわなければいけないの? それはなぜ? わたしだけがしあわせになる方法なんてないのに わたしのためだけの椅子や、わたしのためだけのストーリーなんてどこにもないのに わたしのなかにもないものを、なぜ見つけなくてはいけないの? わたしはゲージュツをあいしている ゲージュツに力があるなんて思っていない それは真実ではない けど、わたしはゲージュツに力があることを信じている 信じているから そう思うひとをもっとたくさん集めたら その共同幻想の力がもっとつよくつよくなったら 世界はもっとすばらしくなる 社会はもっとよいものになる 文化芸術こそが 社会をよいものにする よく生きるための唯一だと こころから信じている

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samatsu.
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