記憶・001

映画館どころか本屋すら一軒もなかった私の地元では、どんな文化だって、大人になって、地元を出てみないと知ることができなかった。電車の乗り方だって、美術館でのふるまいだって、観劇のしかただって、全部成人してから初めて理解した。初めて東京に行ったのも、自発的に美術館に行ったのも、舞台を見たのも、自動改札を通ったことさえ、私は20歳を過ぎてから経験した。そういう世界で育っていると、文化的リテラシーなどというものが、そもそも人生のどんな〔場面/シチュエイション〕においても必要とされないのだということにすら、気づくことができない。

祖父は書道家だった。だから書に関する本は、祖父の家、現在の私の実家にたくさんあった。今も、近くの古本屋でみつけた三體千字文を、お守り代わりに本棚に入れている。

でもそのくらいだった。わたしのまわりにあるのは、山と温泉と漆器、そしていつも聞こえてくる謡だけだった。本当は実家を出るのがいやでしかたなかったが、すすめられた大学のオープンキャンパスにいって、すっかり虜になり、来たる東海地震のためにやや反対されたが押し切って進学した。本当に良かったと思っている。学部の4年間は夢のように、本当になにひとつ欠点のない完璧な時間だった。56人いた学科の友人たちは、ユニークで理解ある繊細なオタク気質ばかりで、よくもまあこんなにもウマの合う人ばかり集まったものだと思った。いつも仲良くしていたのは10人くらいだったけど、苦手なだなと思う子はひとりもいなかった。軽音部もそうだ。楽器が好きで、バンドが好きで、ライブが好きで、ライブハウスが好きだったらそれでよかった。ほんとうにそれだけでよかった。

わたしは研究者には向いていなかった。ひとつの真理を探究するというような作業が致命的に苦手だから。気が散りやすく、〆切を守れず、それでよくパニックを起こした。それでも何とかやれる、これまでもなんとかなったのだから、と思って進学を決めた。これ自体も、間違った選択というわけではなかった。1年間であまりにたくさんのものを得てきた。日に日に広がっては大きくなる自分自身という出来事に、その恐ろしさに、ある日突然耐え切れなくなった。ずっと降り積もっていた雪によって、ある日突然崩落した実家の向かいの家みたいに。

すごくいやなことがふたつあった。いまでも頭につよくつよくはりついていた。それだけは知っていてほしかった。あれは躁状態のわたしだった。

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samatsu.
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