序・ゲーテブルーの歓待
ゆっくりと、しかし夏の夜の訪れよりはずっとずっと早く、すべてが暗闇に落とされていくと、ぼくは負けじとすばやく二度瞬きをして、瞳孔をきゅっとしぼる——ぼくという存在が、いまこちらへと飛び込んでくる世界に飲み込まれてしまわないように。そして客席の誰よりも早くそれになじめるように——このときと、あとはカーテンコールの瞬間が、ぼくはいっとう好きだった。この境界線上へと招待されている時だけ、この時だけが、小ずるくて、厭味ったらしく捻くれた、つまらないぼくのわがままは、次元すら隔てているかの如く遠いところのお話になってしまって、ゆたかに事物をいろどる言葉と、生き生きとその体に吹き込まれた、とある人々の魂、それだけが舞台の上にたっている。ぼくはそれらを見つめるにつけ、代わる代わる視点を切り替えながら、決められた終焉へと向かう物語の、ページをめくる神であり、独りたたずむ追体験者でもあり、あるいは登場人物そのものになっていることさえある。ぼくはただひとつの、その幽界に紛れ込むただひとつの「なにか」でしかなくなって、そうして、時間も空間も飛び越えながら、最後のアナウンス、せかいの最期までを見届ける。物語はいつまでも愛に満ちていて、やさしく、切なく、運命のいたずらがふいに彼らを引き離しては、また気まぐれにめぐり合わせる——今日は愛の話だった。愛した人と、愛されていた人の話だ。結末はハッピーエンドといえよう、少しだけ悲しみを食べた笑顔が並んで、丁寧にカーテンコールを受けていた。掌がじんじんとするのもお構いなしの惜しみない拍手を送って、そうして、儚くも凛と存在しつづけた人々を大切に胸にしまいこんで、きょうという日を忘れたくなかった。
帰りの道すがらは、少しだけゆっくりと歩くことにしている。お気に入りのシーンを思い出しては、とてもいい気分になる。普段は人見知りして気が引ける、古いカフェーのテーブル席でひとり、注文を待つ間のこの時間がこんなにも華やぐことはほかにない。始まる前のどんなウンザリの気もちも、あの時間と空間が為せるわざでスッカリ消え落ちてしまった。年季の入った換気扇のヒステリックな動きようだって、今はもの哀しい愛のアリアにすら聞こえるようになる。この音楽はすばらしく破天荒で、それでいてひどく繊細に、同じくひどく繊細で小さなぼくの、感受性という、くろく光る心のやわらかな部分をつつきまわしてもてあそんでいる。この余韻よ、どうか終わらないでくれと、何度願ったのかわからない。
演劇——これはひどく甘美な毒。待ち構える狂気のスナイパーは一瞬にして、のぞいたスコープの照準をぼくにぴたりと合わせ引き金に力をこめる。向かい合ってぼくたそれを凝視したまま、一歩たりとも動けなくなって、そうしてまた、またぼくは。