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怒涛の映像情報に回線ショートした結果

帰宅して、一番の楽しみは、一杯やりながらネットフリックスやプライムビデオで映画やドラマを見ること、でした。

テレビはニュースや天気予報以外、ほとんど見ません。話題となったドラマや趣味のボウリングもまた、後からネットで観ています。

昔、知人が、テレビで放送された映画を、せっせとダビングしていて、理由を聞くと「老後の楽しみに備えている」との返事。時代は大きく変わりましたよね。ビデオデッキなんか、どこにもありません。

家で、あるいは外でも、好きなだけ映画やドラマ、スポーツを楽しめる、すごい世の中になりました。私も相当ハマってしまい、寝ないで連続ドラマを見続けたりしました。

新作や旧作やら、視ても視ても追いつかないほど続々と、いろんな国の色んな作品が登場してきます。

となると、丁寧に見なくなって、最初の部分だけチェックして放置。連続ドラマもショートカット。若い人は2倍速で動画を見るとか言われていますけど、私たち世代も同じです。

しかし最近は、ネットのドラマを見なくなりました。視ても視てもキリがないせいか、脳が、映像を受け付けてくれないんです。怒涛のように押し寄せる映像を処理しきれないのかもしれません。

刺激を受ける⇒脳が処理する⇒アウトプット(行動や考え方に反映) のはずですが、私の場合は、大量情報流入(インプットの嵐)で脳の回線がショートしたようです。

落ち着けるのは、テキスト情報でした。そして、その中心が「note」のような気がします。

見知らぬ人たち、色んな立場の人たち、色んな年代の人たちが発信するテキスト情報は、書いた方の背景を想像したり、考えさせられたり、イメージする力をもたらしてくれます。名作を朗読する青空朗読もまた、想像の翼を広げてくれます。

創造する力。イメージする能力。

デジタル社会が広がるにつれて、アナログ的な感性に惹かれる人が増えていくかもしれませんね。映画は、映画館で見るのが一番楽しいかも。