#058 身の丈なんて考えるな
本日のトップ画像:9年前のタイ旅行にて。派手なトゥクトゥクが素敵。
「足るを知る」というコトバ
やさかもです。
僕は若いころから「足るを知る」という言葉が大事だと教わって生きてきた。40代に突入したいま、この言葉の意味を見直してみる。
辞書によると、
◆足るを知る: 身分相応に満足することを知る。足る事を知る。
◆知足安分(ちそくあんぶん)
《足りることを知り、分に安んずること》満足することを知らないと、どんなに豊かであっても安らぐことがないということ。置かれている状況を自分に見合ったものとして不平不満を抱かないこと。
となっている。僕はこれらの言葉を、「身の丈にあった生活(仕事)をしなさい」という意味で捉えており、窮屈な思いをしていた。
オトナが親切心で頭を押さえつけてくる
年配者は言う。あなたは○○なんだからムリだよ、とか。●●になれる人なんて世の中のほんの一握りの人なんだよ、とか。僕は素直な子供だったので、幼少の頃から「自分は何も持っていないのだ」という軽い絶望感の中で生きてきたように思う。でも心のどこかで、「そんなことないんじゃないかな」という反抗心も共存していた。
これは、社会人になっても続いた。いろんなオトナが僕の頭を押さえつけてくる。「オマエはここまでの人間だ」と天井を見せつけられる。年長者が絶対的にエライ世界。年長者の経験則だけで指導される世界。これが悔しくてたまらなくて、20代、30代の自分は常に「身の丈」ってやつをなんとか突破しようともがいてきたように思う。
もがいた20代、30代
社会人1年目から、県外の勉強会に自費で参加し、異業種のオトナとも良く飲み、よく遊ばせてもらった。8年後の29歳で海外に飛び出して国際協力活動、その後語学留学を経て進学(無職)、34歳でアフリカでインターンと疫学研究、アフリカへの国際緊急援助、その後は36歳で海外ビジネスに参画。38歳から某コンサルティング会社に籍を置き、医療機関のマネジメントをさせていただいている。
こんな風に書くと、順風満帆かよ、と思うかもしれないが、僕がこの15年間で経験・体験の幅を広げた体験を以下に列挙しよう。
・転職 ・結婚 ・離婚 ・無職 ・収入ゼロ ・役所での冷たい対応 ・合宿生活 ・留学 ・多額の借金 ・貧困 ・言葉の通じない国で暮らす ・貧困国で暮らす ・治安の悪い街 ・売春婦のいる町 ・異なる宗教体験 ・入院 ・パワハラを受けた ・軽いうつ状態 ・人を雇用う ・人を解雇する ・外国人とのルームシェア ・国の機関で仕事をする ・英語論文を執筆 ・海外プロジェクトへの参画 ・富裕層がやる遊びの体験
こうして列挙してみると、一般的には「ヤバい」体験も多い。無謀とも思える僕の挑戦に対して、親や教師、友人やキャリアカウンセラーに反対され、時に笑われてきた。それも、「親切心」という名の正義を添えて。でも、決定権を誰にも渡したくなかった。だから、自分で決めて行動してきた。※とはいえ、ほとんどの機会が人のご縁による幸運だったと思っている。
こんなキャリアパスをもともと描いてていたわけではない。ただ好奇心の赴くまま、寄り道をしながら行動してきただけだ。でも無駄な経験はひとつもなかったと断言できるし、幸福度が年々上がっているのを感じる。
ヒトが求める「豊かさ」は変わりつつある
人々がスマホで繋がり、どんな国の人とも瞬時にゼロコストで連絡がとれるようになり、ワンクリックでなんでも欲しいモノが家に届けられるよう時代。もはや、お金や所有、職位なんかでは心が満たされなくなってきている。では何が人生を豊かにしてくれるのか?それは、
経験・体験という財産
だと思う。この経験・体験の幅を「もう足りたわ。」と思ってしまったらそこで試合終了である。実際、僕のまわりにいる素敵な人々は、いくつになっても好奇心・興味があふれ出ている。どんなことにも貪欲に知ろうとし、吸収する。そしてそれを自分の血肉に変え、社会に貢献している。
「身の丈」はいくらでも大きくできる
人生80歳まで生きると仮定して、いま40歳のひとは残り14,600日しかない。多いと思うか、少ないと思うか、それはヒトそれぞれであろう。僕は、これを知った時、ショックを受けた。まだまだこの世の中を味わい尽くしたい。好奇心も尽きない。
「もう足りたわ。」とか「これを維持しよう。」
と思った瞬間から人生はつまらないものに転落していくし、ヒトは老いていくと思っている。
つい小さくまとまろうとする自分への戒めを込めて。
58日目 おわり。