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修学旅行の予習 東寺、東大寺、法隆寺(皐月物語 127.5)

 修学旅行の前日、6年4組では児童たちが修学旅行の行動班ごとに固まって、最後の打ち合わせが行われていた。各班は初日の京都旅行の訪問先の情報収集を行っていた。
 皐月たちの班は京都旅行の最後の訪問先の東寺について調べるところだ。授業よりも一所懸命勉強してきて、皐月たち6人は疲れていた。
 事前学習に当てられる時間の残りが少なくなってきた。もしかしたら全部は調べられないかも、と思いながら調査を続けた。

 班長は文学少女の吉口千由紀よしぐちちゆきだが、この打ち合わせではオカルト好きの神谷秀真かみやしゅうま藤城皐月ふじしろさつきが中心になって行われている。
 他のメンバーは鉄道オタクの岩原比呂志いわはらひろし、歴史好きの二橋絵梨花にはしえりか、学力が学年一位の栗林真理くりばやしまりの3人。皐月たちの班の6人はみんな向学心が高い。
 皐月たちの班全員が自分の Chromebook で東寺の公式サイトと Wikipedia を開いている。

「公式サイトにははっきりと何年に創建された、と書かれていないんだね」
 これはちょっと面倒なことになるかもしれないと、神谷秀真は緊張した。
「ウィキペディアには796年に創建されたって書いてあるね。東寺の記録書『東宝記とうぼうき』に記録が残っているみたい」
 東宝記とは14世紀中頃に杲宝ごうほうという東寺の真言教学の研究をしていた修行僧が編纂した東寺の寺誌だ。

 秀真と皐月は役割を決め、秀真が公式サイトを見て、皐月がウィキペディアを見ることにしていた。
「平安遷都には完成が間に合わなかったということなんだ。2年も遅れちゃってる。リニア新幹線みたいにトラブルでもあったのかな?」
 岩原比呂志は794年の平安遷都との時期のズレが気になっているようだ。
「平安京は大内裏だいだいりから造り始めたっていうから、東寺の造営はその後だよ」
 吉口千由紀はネットで東寺のパンフレットを探して略年表をみんなに見せた。そこには「796年 東寺の造営が始まる」と書かれていた。

「東寺といえば空海っていうイメージなんだけど、公式サイトには空海が大伽藍建立の大事業を始めたと書いてあるよ。空海が嵯峨天皇から東寺を託されたのが平安遷都より29年目って書いてあるから、東寺が真言密教の根本道場になったのは823年か」
 二橋絵梨花が公式サイトの歴史の紹介文を見て、創建と現在の東寺の始まりを区別した。

「じゃあ、東寺ができてから27年間はどんな感じだったんだろう? 公式では最初に工事を始めたのが金堂で、ウィキペディアには空海が東寺に来るころには完成していたって書いてあるけど……」
 栗林真理は空白の期間が気になっているようだ。
「普通に考えれば大工の人手が足りないよね。大内裏を最優先で造っていたとして、お寺なら東寺だけでなく西寺も造ってたわけだし、他にもインフラの整備とか、平安京に住む人の家とか、一度に全部できるわけないじゃん。ちょっとずつ造ってたんじゃない?」
 すぐに資料が見つからないので、皐月は思いついたことを言ってみた。
「平安京って案外グダグダだね。平安京の模型を見るとすごいって思うけど、実際は違っていたのかもしれないね」
 真理は平安京の中の東寺を確認しようと思い、平安京復元模型の画像を見ていた。模型の東寺は京都の神社仏閣にありがちな朱色の柱と白い壁の建物で、今はない廻廊まであった。
 何かを調べていた絵梨花が口を開いた。
「さっき吉口さんが言った『平安京は大内裏から造り始めた』が気になって調べたんだけど、平安宮内裏は782年から806年に造営されたって京都市のサイトにあったよ。完成まで24年もかかっているんだって。藤城さんが言うように、東寺を造るのも時間がかかったんだろうね」
 皐月は役所のような寺よりも、天皇が住んで、儀式や執務などを行う宮殿の方を優先して造ると考えて、大工の人手が足りないと言ってみた。思い付きが当たっていたみたいで良かった。
「じゃあ、東寺は796年から造り始めたってことで、次に行こう」

 修学旅行2日目は奈良の東大寺と法隆寺に行く。奈良は京都と違って班行動ではなく、学年全体で行動する。
「なあ、秀真ほつま。東大寺と法隆寺ってどうする? 一応調べてみる? 東大寺は授業で習ったじゃん。国分寺と国分尼寺の見学に行った時に、東大寺は国分寺の総本山だって。8世紀中頃だったよな」
 皐月たち稲荷小学校の児童は社会見学で三河国分尼寺跡史跡公園に行った。そのことが皐月には忘れられないほど印象に残っていた。皐月が歴史に興味を持ち始めたのはこの時からだった。
「さて、どうしようかな……。時間もなくなってきたことだし」
 秀真はなぜか薄笑いを浮かべていた。皐月は全部調べられそうにないもどかしさと、秀真の態度にイライラしてきた。

「東大寺と法隆寺の創建は学校から配られた『修学旅行のしおり』に書いてあるよ。東大寺は8世紀中頃に聖武天皇が建てて、法隆寺は推古天皇と聖徳太子が607年に建てたって」
 比呂志に言われて三河教育研究会から配られた冊子を見ると、確かにそう書いてあった。
「あっ、東寺のことも書いてある! 796年だって。清水寺のことも書いてある。778年って、俺たちが調べたのと同じじゃん。八坂神社も656年、下鴨神社は……書いていないな。伏見稲荷も書いていない。もしかして岩原氏、このこと知ってた?」
「当たり前だよ。冊子をもらったら、普通は目を通すでしょ?」
 皐月はひどくショックを受けた。今までやってきたことは徒労なのか、と血の気が引く思いだった。
「真理も知ってた?」
「あ~あ。とうとうバレちゃった。岩原君、言っちゃうんだもんな」
「まあ、いいじゃん。冊子を読めばどうせわかることだし。それより藤城氏が冊子を読んでいなかったことが驚きだよ」
「実行委員のしおり作りで頭がいっぱいになっちゃって、学校からもらった栞のことを忘れていたんだよ」
 皐月は真理と比呂志から馬鹿にされたことだけでなく、迂闊だった自分自身にもだんだん腹が立ってきた。

「なんで黙ってたんだよ! これじゃ俺、バカみたいじゃん。『調べることは寺や神社の由緒くらいでいいかな』なんて、偉そうなこと言っちゃって。秀真ほつま、お前はこのこと知ってたのか?」
「知ってたもなにも、僕がみんなに栞を読もうって呼び掛けたんだ。皐月こーげつが修学旅行の委員会に出ている昼休みに」
「マジか……」
 皐月はなんだかいろいろ馬鹿らしくなってきた。一気に疲れが出た。
「でも、藤城さん。神谷さんが栞の情報だけじゃ物足りないから、もうちょっと詳しく調べてみようって、提案してくれたんだよ。この時間にこうやって掘り下げて調べてみて、すごく楽しかった」
 絵梨花は歴史好きなだけあって、この事前学習を楽しんでいたようだ。
「藤城君と神谷君のおかげで、修学旅行がより楽しみになった。栞の知識だけだと頭に残らないから、みんなで意見を出し合って推理したことって忘れられないよ。それに下鴨神社や伏見稲荷大社は栞には載っていなかったし、調べないと何もわからないから」
 千由紀の言葉に皐月は救われたような気持ちに変わってきた。確かに自分たちのやって来たことは無駄じゃなかったかもしれないと思えてきた。
「私は皐月のこと、見直したよ。やっぱり皐月は賢いなって」
「真理の方が頭がいいじゃん。勉強だってできるし」
「私ができるのは受験勉強だけだから。ちっちゃい頃から皐月の方が賢くて、ずっと憧れていたんだよ」
 真理に変な持ち上げられ方をされ、皐月は気持ちが悪くなった。
「まだ少し時間が残っているから、とりあえず東大寺をやろう。僕が見つけたところを話すね」
 秀真はみんなで調べるというスタンスから、自分が知っている情報を伝えるというやり方に変えた。

「東大寺の公式サイトには728年に建てられた山房(後の金鍾山寺きんしょうさんじ)が始まりだって書いてある。『修学旅行のしおり』にはここまで書いていないからね」
 秀真は公式サイトの「東大寺の歴史」のページの冒頭を指差した。
「ちなみに空海は東寺を真言宗の根本道場にする1年前に、東大寺を灌頂道場かんじょうどうじょうにしていたんだ。どっちも嵯峨天皇に国家鎮護を頼まれてね」
 秀真は東大寺の詳しい説明をせずに、次の法隆寺に話題を移した。

法隆寺公式サイト
https://www.horyuji.or.jp

「法隆寺は『修学旅行のしおり』に書いてある通り、607年頃に完成なんだって。でも670年に全焼したって公式サイトには書いてある。奈良時代の初頭までに復興したらしいけど、復興に40年もかかったんだね」

 秀真が早口で話していると、担任の前島先生から事前学習を終わりにして、給食の準備をするように、と指示が出た。
「午後は修学旅行前日集会です。予鈴が鳴るまでに体育館に集合してください。最後に修学旅行での行動の最終確認をします」

 前島先生が教室を出ていくと、皐月は急に寂しくなった。旅行は出かけるまでが一番楽しいという。
 修学旅行実行委員を務め、江嶋華鈴えじまかりん水野真帆みずのまほたちと栞作りをした。芸妓げいこ明日美あすみみちると一緒に旅行に着ていく服を買いに出かけた。一緒に住んでいる高校生の及川祐希おいかわゆうきに修学旅行の体験談を聞かせてもらった。班のみんなとどこに行こうか決め、行き先の神社仏閣の起源を調べた。
 何もかもが楽しかった。もしかしたら修学旅行はこんなに楽しくないのかもしれない、と少し不安になってきた。

「今まで調べてきたことをまとめておいたから、必要がある人は書き写しておいてね」
 いつの間にか比呂志がノートに訪問先の神社仏閣の創建の年と簡単な由来を書いていた。みんなで比呂志のメモを皐月たちが作った修学旅行の栞のメモ欄に書き写した。秀真の栞にはすでにびっしりと一人で調べたことが書き込まれていた。
「岩原氏、ありがとう。調べっぱなしだと忘れちゃうから、助かる」
「まあ、自分用にメモっただけだから。僕のオタ活は結構アナログが活躍してるんだ。現地でメモをとったりするから」
 皐月たち6人は給食に備えて席を移動させた後も、比呂志のメモを書き写したり、秀真の蘊蓄を聞きながら給食が運ばれてくるまで修学旅行の予習を続けていた。

後書き

 この回で『皐月物語』の修学旅行の予習シリーズは終わりです。
 書いてみて思ったことは、自分が修学旅行ごっこで京都に行く前に書いておけばよかったな、といった後悔でした。神社仏閣の旅行は知識を入れてからの方が楽しいです。
 下のリンクから本編に接続します。たまたまこのページを見つけた人で、小説も読んでみようかなと思ってもらえたら、試しに読んでみてください。


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音彌
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。